海女ひとり潜づく山浦雲の峰
井本農一
(『遅日の街』1977年)
井本農一は芭蕉研究の泰斗であり、自分が大学生の頃は、芭蕉のことはひとまず井本農一の新書を読んで分かった気になったりした。そのころはまだ存命中で、院に進んでからは、井本は弟子に俳句の実作を許さないらしいと仄聞し、厳しい先生だなと思った覚えがある。実際、今もおおっぴらに俳句の実作をやっている俳文学者は数えるほどしかいなくて、自分はそれを少しおかしな事だと思っているのだけれど。そんなわけで、昔古書店でこの井本の句集を見つけたときはかなり驚いた。まさか当の本人が実作をしていたとは思いもよらなかったから。
句集のあとがきによれば、本句集は永田書房の永田龍太郎の勧めで長く作り捨てにしていたものを集めて一冊に編んだという。作るペースは「断続的に句作はしていたが、平均すれば年に二十句に満たない」そうで、相当な寡作である。「孫たちが成人して、その中に一人でも俳句の解るのが出て、ああ祖父はこんな気持ちでいたのかと思つてくれれば」ともある。その辺の作家の思いを少し掘り下げると、井本の父親は青木健作という。小説家で、俳人で、法政大学の教授を務めた人である。姓が違うのは、青木家から井本家に養子に入っていたからで、旧姓を筆名にしているのである。青木の旧制山口中学時代の同級には種田山頭火がおり、就職先の同僚には鈴木三重吉がいた。「帝国文学」の編集に携わっていた時には芥川龍之介の「羅生門」を採用したともいう。そんな風で、父親はかなり実作寄りの人だったことがわかる。本句集には、その父のことやらその墓のこと、そして家族でそこに参ったときのことなど詠んだ句が折々に散見される。つまり、井本なりのこの文学の家系の、ささやかな未来への願いのようなものが込められた句集ということのようなのだ。
掲句中の「かづく」は古語で潜ること。『古今和歌集』に「伊勢の海人の朝な夕なにかづくてふみるめに人をあくよしもがなに」(詠人知らず)、『和泉式部集』に「かづけどもみるめは風もたまらねば寒きにわぶる冬のあま人」と、海女のかづく姿は古来歌にも使われている題材である。海には一人漁をしている海女がいる。「山浦」は、海からすぐ山になっている地形とか、三方山に囲まれた浦くらいを想像しておけばいいだろうか。のこる一方の海を見やるとそこには雲の峰がそびえているという景。はじめに焦点化された海にいる海女から、景がぱっと大きく天へと広がってゆく。それは客人である視点人物の目の動きそのものなのだろう。その人物は景色に大いなる美をみてとったかもしれないが、普段からその自然に溶け込んでいる海女はただ黙々と素潜り漁をしている、というのも面白い。この次の句が急転し「金借りて帰り行きけり西日中」なのも、先生何か貴重書でもお買いになったのか、などと思われ可笑しかった。
余談だが、伊勢のあたりでは、一人で潜る海女の前にのみ、トモカヅキ(供潜き?)という妖怪が現れることがあるのだという。この妖怪は、他にいないはずの海に自分と同じ人の姿であらわれ、出会った海女に害を為す。命をとられることもある。ために伊勢の海女は、魔除けの護符「セーマンドーマン」(安倍晴明と蘆屋道満由来とも)を身につけているのだとか。海女が一人で潜って漁をするのはもちろん命がけであり、長時間息をとめるうちに意識が朦朧となることで幻をみるため言われ出した現象なのかもしれないが、そのような合理的な解釈より、命がけの現場の人間のリアルを感じ取るほうがはるかに大切だろう。そのような命がけの人間の生の現場から天空までがこの一句の中に収まって成立しているのは、なかなかにすばらしいことではないかと思うのだけれど。
(橋本直)
【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。
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