ミシン台並びやすめり針供養
石田波郷
母が洋裁学校に通い始めたのは、子育てがひと段落したと考えたからだっただろうか。それまでも、十代の私がへたなデザイン画を渡せば、イメージ通りに仕上げてくれていたが、細かい仕上げがプロとは違う、と常々言っていた。
母とふたりで、ユザワヤで適当な生地が見つからないと日暮里の問屋街に買いにゆき、銀座のミタケに釦を探し、新宿の岡田屋にボタンホールの仕上げを出し、というのは、私にとってはいい思い出だが、昭和五十年代、既製服のバリエーションが今ほどなかった時代、ひとと違ったお洒落をするには、自分で思い通りに作る技術を身につけるしかない、というもう少し切実な気持ちが母にはあったのかもしれない。
元々は油絵を描き芸大を目指していた母だが、その方面はどうも上手くいかなかったようだ。母の描いた静物画は古臭いフランドル絵画か、というタッチと色彩。マティスとセザンヌが好きだったが、真似をすればデッサンがごまかせるからではないか、と私は勘ぐっていた(彼らは意図的にデフォルメしたのだ)。中学時代、水彩画の宿題を家に持ち帰ったとき、樹木の影を勝手に青く塗られてしまい、怒ったことがある。母は「セザンヌ風よ」と涼しく言ったが。
他にもアートフラワー、書道、陶芸、編み物、何かしら常に創作していたが、母の才能が一番発揮されたのは、フランス刺繍ではなかったかと思う。タチヤナ先生のお稽古に通い、色のグラデーションが美しい薔薇の蕾のテーブルセンター、クッションカバー、17-18世紀頃のイタリアの室内装飾をモチーフにした飾り額など作っていたが、どれもなかなかの出来栄えだった。
そして、だから、というべきか、母の認知症が明らかになったのも、この得意だった刺繍の糸運びの乱れからだった。昨日は針供養。今は施設で穏やかに暮らす母を思う。
(内村恭子)
【執筆者プロフィール】
内村恭子(うちむら・きょうこ)
1965年東京生まれ。
2002年「天為」入会。2008年「天為」同人。
2010年「天為」新人賞。2013年 第一句集「女神」。
現在、天為編集室、国際俳句交流協会事務局勤務。俳人協会会員。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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