跳ぶ時の内股しろき蟇
能村登四郎
(『易水』)
ヒキガエルにセクシーさを感じている人は多いはずである。カエルは女性から嫌われている印象があるが、実はファンも多い。あの丸い瞳、つやつやとした鼻先、拗ねているような尖った口元は、とぼけたような愛嬌がある。大きな腹を持つ体型も滑稽である。ぶよぶよとした白き腹は、触ると気持ちがよさそうだ。
私の故郷である筑波は、四六の蟇が有名である。前足が4本指、後足が6本指であることを特徴としている。筑波のガマの油売りの口上として知られている。ガマの油は、江戸時代に知られるようになった傷薬だが、実際には、ガマガエルの成分は入っていない。現在、筑波山神社の参道を囲む土産屋には、蟇の置物が並ぶ。地元の粗い粘土と光沢のある釉薬で焼き上げた置物は、四六の蟇を美しく再現している。筑波の蟇は、ガマの油売りの口上から有名となり、筑波山のマスコット的存在になった。
だが私は、もともと筑波山周辺には、蟇を愛でる風習あるいは信仰があったのではないかと考えている。蟇は、水の豊かな地に生息し、紐状の卵を産む。筑波山の麓より広がる水田を守る人々にとって、蟇は、土地の豊かさと子孫繁栄を祝う象徴的な存在であった。異形なものであるがゆえに信仰の対象になった可能性もある。筑波山より湧き出る水に棲む蟇は、山の神の使いと考えられていた。その信仰を利用して「ガマの油」を売り出したのではないだろうか。少なくとも、筑波に育った私にとって蟇は、崇拝する存在である。その顔立ちも腹の太さも歪な皮膚も美しいものに映った。
小学校の時に読んだ童話『かえるの王さま』では、美しき王女が池に落とした金の鞠をカエルが拾ってあげる。その際にカエルは、王女と友人になる条件を提示する。後日、友人条約を結んだカエルは城を訪れ、王女との食事の同席を要求しただけでなく、王女の寝床で一緒に眠ることを要求する。何とも厚かましいカエルなのだが、カエル好きの私としては、一緒に食事をして一緒の寝床で眠れる王女がとても羨ましいと思った。私が見た絵本では、カエルは蟇の模様で大型犬ほどの背丈があり、椅子に座ってワインも飲む。カエルが皿を舐める絵も、私には愛おしいとしか思えなかった。そんな大きなカエルと一緒に眠れるなんて幸せ過ぎる話なのだが、物語の王女は寝床に這い上がってきたカエルを壁に投げ飛ばしてしまう。その途端、カエルは見目麗しき王子に変わる。王子が述べるには、「身分や見た目に過信し性格が悪かったため、魔女により醜いカエルの姿となった。醜い姿になっても愛してくれる人が現れたら魔法が解けると言われており、王女がその魔法を解いてくれたのだ」とのこと。結果的に二人は結婚するのだが、王女は、醜いカエルを全く愛せなかったにも関わらず、なぜ魔法が解けたのか意味の分からない童話である。生まれながらにして持っていた地位や美貌を魔女によって失い、醜いカエルの姿となった王子が、恋をした王女から酷い仕打ちを受け、人の心を取り戻したということであろうか。でもそれでは、高慢な王女の性格は治らないのでは。突っ込みどころ満載な童話である。私ならカエルと友達になり沢山の悩み事を共有し、一緒に眠るのに。読むたびに納得のいかない童話だ。
とある恋多き美貌の女性にその話しをしたことがある。すると女性は「私はゲテモノ好きだから分かるわ」と共感してくれた。私にとって蟇は、ゲテモノではないので少々の反発を覚えた。世間的に見れば、社会より少し外れた人を好きになってしまう私の性癖は、ゲテモノ好きなのかもしれないのだが。
跳ぶ時の内股しろき蟇 能村登四郎
一般的には醜いとされる蟇。その蟇が跳んだ瞬間に白い内股が見えたのだ。それは、ふとした時に女性の白き腿を見てしまったようなドキリとする瞬間だったのであろう。風でスカートが舞い、下着を見てしまったときの衝撃のような。
幼い頃、蟇を捕まえて遊んでいた。あの豊かな腹や太い腿は母を思わせた。看護学校の教師でありながらも、本家の農業を手伝い、私達姉妹の子育てもして、いつも苛立っていた母。蟇は筑波の豊穣を約束する神の使いであると同時に、母の象徴的存在でもあった。農作業を手伝う母の手は、夏は陽に焼け、冬は寒風に晒され、四十歳を過ぎた頃には、染みだらけでゴツゴツとしていた。蟇の皮膚のように。仕事中のスーツ姿の母が足を組むと、染みだらけの手とは不釣り合いな白い腿が露わとなった。私が「蟇の足」と言うと母は怒ったが、悪い意味ではなかった。休日の昼間は、太い足をモンペズボンに隠し畑を耕していた母、食物を粗末に出来ず、夕飯の残り物を無理して食べていた母。だからウエストがあのようなことに。でも、あの太い腹と白い腿は私の安らぎであったのだ。 筑波山のお土産屋では、水槽で蟇を飼育している。水槽に豊かな腹を付けて白い太腿を晒す蟇を見た夫は、一目惚れしてしまった。夫が言うには、蟇は、どこか人間臭い表情を持っているらしい。大地の女神である土偶にも似ていると。女性でも男性でも蟇に喩えられたら、少し落ち込むであろう。だけれども私は、蟇の持つセクシーさを崇拝している。
(篠崎央子)
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【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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