薔薇の芽や温めておくティーカップ
大西朋
道具は長い年月を経ると精霊が宿るという。「付喪神(つくもがみ)」と呼ばれたりするその精霊を宿すには長い年月だけではなくそれを使い続けることも条件に含まれるのではないだろうか。
ここで先祖代々、あるいは物心ついた時から使い続けている道具を紹介したいところだが、筆者はそういったものを持ち合わせていない。長い年月とはいえないが一番精霊の宿っていそうだったのは大学受験の時に使った英和辞典だが、やむを得ない事情で処分することになった。それ以来、良くも悪くも物に執着することができなくなった。むしろ執着しないことに執着するようになったかもしれない。
道具を大事に使う人のことは尊敬してやまない。料理人が包丁を研ぐ姿や演奏家がチューニングで出す音は魂を響かせるほどの魅力がある。筆者が持つなかでこれから精霊の宿りそうな道具としては浅草「かね惣」で購入した愛用のペティナイフがある。まるごと一個の西瓜以外のものはたいていこの1本でやりくり出来る。お店で毎年研いでもらうことで新品のような切れ味が続いていて料理が楽しい。しかしよく考えたら自ら砥石で研がないと精霊は宿らない?自動車を乱暴に扱うと故障したり、愛情を持って手入れをすると長持ちしたりするという話も好きだ。
薔薇の芽や温めておくティーカップ
薔薇が芽ぐむ頃の来客。あるいは窓から見える薔薇の芽。紅茶を楽しむためにティーカップを温めておくのは基本ではあるが、美味しく淹れるための心づくしのもてなしとして味わいたい。一人の時間を楽しむための準備と考えても良い。自分へのもてなしだ。「温めておく」とわざわざ言う点に何かしらの歓迎の心を感じるのである。ティーカップに焦点を絞ることでこれからカップを満たす紅茶への想像が無限に広がる。紅茶がたてる湯気は薔薇の開花にも通じる。
というストレートな読みもあるが、筆者にはティーカップに精霊が宿っているように思われた。ティーカップを温めると薔薇の花が開くような幻影。実写アニメーション映画のようである。そんなイメージが広がるのは薔薇の芽の効果だ。そうなってくると「温めておく」にも愛情のエッセンスが加わり、薔薇と響き合う。芽が開くまで大地に水をやるようにティーカップを温めておくのである。風が吹けば桶屋が儲かるように、ティーカップが温まると薔薇の芽がふくらむのだ。
取り合わせの見本のような句である。ちなみに筆者は「取り合わせ」という言葉から入るアプローチがあまり好きではない。掲句にはそんな作為が感じられなくて心地よい。
『片白草』(2017年刊)所収。
(吉田林檎)
【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)。
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