みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな 筑紫磐井【季語=滝(夏)】


みちのくに戀ゆゑ細るもがな

筑紫磐井
(『野干』)

 〈みちのく〉と言えば「みちのくひとり旅」という演歌を思い出してしまう。叶わぬ恋を振りきって男ひとりの傷心旅行。「月の松島 しぐれの白河」、失恋の果てに出家し陸奥を旅したという西行伝説の気分であろうか。当該句の〈みちのく〉は、日本人の抱く陸奥のイメージに沿って詠まれた句であろう。

 愛の逃避行をする男女は東北を目指すもの。日本人にとって〈みちのく〉は、俗世を逃れ、自分達のことを誰も知らない土地を求めて、辿り着く新天地である。平安時代の貴族達との恋に疲れた小野小町や和泉式部は晩年、陸奥を流浪した逸話を残す。都落ちした平家は西国へ向かったが、恋に生きる者達は東北へ向かう。正妻と共に奥州に逃げ込んだ源義経は、再起を夢見た。〈夏草や兵どもが夢の跡 松尾芭蕉〉である。江戸が政治の中心地になって四百年以上が過ぎた。それでもなお、〈みちのく〉への憧憬は消えない。俳人であれば、芭蕉の足跡を求めて歩き続ける地、いわば俳人の聖地である。

 そんな日本人憧れの〈みちのく〉だが、生活は厳しい。愛の逃避行の果てに行き着いた陸奥は、険しい山と雪に囲まれ生活に困る。都の生活を恋しく思いながら、陽に灼け、風に晒され、雪水に爛れながら生きる。恋を選んだがゆえの生活苦。追っ手を気にしながら、いつしか逃げることの疲れが兆す。「お前のせいだ」「あんたのせいよ」などと罵り合い、百年の恋も先細ってゆく。そんな哀切の生活なのだが、水は豊か。滝は太いのである。

 戊辰戦争にて最後まで幕臣を貫いた会津藩は、逆賊となったが、明治政府より藩主松平容保(かたもり)の嫡男容大(かたはる)は家名存続が許され、陸奥国斗南(青森県むつ市)にて斗南(となみ)藩を立てた。藩領の多くは火山灰地質の厳寒の不毛の地であった。生活は困窮する。陸奥の大地は、野心も恋も細るのである。

みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな   筑紫磐井

 〈みちのく〉には、つらい恋をするがゆえに細る滝があって欲しいものだという内容の一句。〈みちのく〉は、多くの悲恋伝承を残す。そして当該句には、見事な句評が存在する。対馬康子氏の句評によると、秋田県中ノ又渓谷に「安の滝」という滝があるらしい(現代俳句協会ホームページ)。

 金山にて働く若き男女が恋仲となる。ところが山での恋愛は御法度。噂や制裁から逃れるため男は金山を去ったが、後で迎えに来ることを女に告げなかった。待ちくたびれた女は、悲観し滝に身を投げた。恋ゆえに身を投げたヤスという女の名が「安の滝」の由来である。

 金山は、村を潤すため、若き男女が昼夜を惜しんで力仕事をする。男は岩を穿ち、女は飯炊きをする。そんな共同作業の合間に芽生えた恋だったのだろう。風紀の乱れは作業効率を悪くするため恋愛は御法度だった。恋を叶えるため、男は金山を去り、二人で暮らしてゆける道を探したに違いない。男が最終的に女を迎えに戻って来たのかどうかは分からない。他の土地で別の女を娶った可能性もある。待つことに疲れて入水した女は、折口信夫のいう「水の女」であろう。

 「安の滝」伝承は、いわゆる話形である。土地に縛られながら待つ女と帰って来ない男。女は入水し、水の神を守る存在となる。もしかしたら都人が滝の名にちなんで創作した恋物語なのかもしれない。高いところより岩を滑り落ちる滝の形状は、女の長い髪を思わせる。恋ゆえに身投げした女の美しさを想像せずにはいられない。

 去っていった男を待ち続けた果てに、女は心を病んでしまった。水の豊富な滝壺にやせ細った身を投げる。愛への渇望があったのだ。〈みちのく〉の恋は、愛への渇望である。だから作者は、細りゆく恋を滝に幻視したのだ。それは、都人の作り上げた〈みちのく〉のイメージなのだろう。現実の滝は、水量が豊富で太い滝であったに違いない。

 秋田美人に代表されるように東北には美女が多いというイメージもまた〈みちのく〉幻想である。雪のように白い肌は、儚げな恋物語に相応しい。働き者で尽くすタイプが多いとも言われている。現実は、どうであろうか。実際に秋田県には美人が多いとのデータがあるようだが、恋に痩せるような女性が多いかどうかは不明である。

篠崎央子


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【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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