黒繻子にジャズのきこゆる花火かな
小津夜景
なんとなく新型コロナが治まってしまったかのような世間である。今夏も各地で花火大会が催されている。いつであったか、俳句の知り人たちと行った江戸川の花火は圧巻だった。河川敷の草の上に、三角体育座りをして眺めていたのであるが、花火と人との距離が近いのだ。共に同行した人々も、口々に「近いね。大きいね」などと賛嘆の声をあげている。川風が心地よく、何度でも見に来たいような心持ちになったが、江戸川の花火は、如何せんその時だけだった。
板橋区に住んでいた頃は、荒川へ花火をよく見に行った。自転車で行けるというのがよかった。板橋区は凹凸の激しい地形で、高台にある家は玄関先に出れば、遠くからでもいい位置に花火を見ることが出来たりする。会場へ向かう途中、そんな玄関先に立って花火が上がるのを心待ちにしている人々や、二階のベランダに集まっている人々などを見ながら、夏の気分を味わい、花火への期待と興奮が否が応でも高まっていった。
季語は花火。「花と夜盗(2022)」収録。「黒繻子」「ジャズ」「花火」の要素から、ある世界が彷彿としてくる句だ。黄八丈に黒繻子の掛け襟の、典型的な町娘の姿が思い浮かぶ。昭和初期であればカッフェーの、現代であれば着付け教室に通う娘か、レンタル衣装の娘か、後者であれば太鼓結びの帯に、ブーツなどを履いているだろうか。然し乍らこの句の漂わす世界は、どう考えてみても昭和初期、第二次世界大戦前の浅草を現出せしめている気がしてならない。
昭和12年、東海林太郎が39歳にして世に出した「隅田川」という歌がある。歌い出しは「銀杏返しに黒繻子かけて/泣いて別れた隅田川/思い出します観音様の/秋の日暮の鐘の声」はっ、歌ってしまった、これに続いて田中絹代のセリフが入るという豪華さ。この歌は美空ひばりや島倉千代子やによって歌い継がれているので、初めて聞いたのは、そのどちらかだったかもしれない。なにしろ黒繻子といえば、この歌である。
昭和11年、藤山一郎が帝国蓄音機商会から世に出した「東京ラプソディ」という歌がある。この歌は四番まであり、特に三番の歌詞のなかにジャズイコール浅草みたような歌詞がある。「明けても暮れても歌う/ジャズの浅草行けば/恋の踊り子の踊り子の/ほくろさえ忘られぬ/楽し都恋の都/夢の楽園(パラダイス)よ花の東京」はっ、歌ってしまった、なにしろジャズといえば浅草なんであるあいである。六区の映画館、浅草電気館の映画上映の合間に、松竹系のアトラクションに出演していた松竹ジャズ・バンドが演奏したところ、大いに受けて連日満員という事態になり、ジャズといえば浅草ということになっていったのだと思う。
つまりこの句には、そういった浅草性が横溢している。然も戦前の浅草だ。永井荷風や江戸川乱歩やが描いた大歓楽街としての浅草だ。家族と連れ立って来た黄八丈に黒繻子の掛け襟の若い娘が西洋料理店で、あるいはフルーツ・パーラーの二階で、隅田川の花火を見ている。店内のラジオからはジャズが流れている。デューク・エリントンの「A列車で行こう」であるかもしれないし、ベニー・グッドマンの「シング・シング・シング」であるかもしれないし、或いはカウント・ベイシーの「ワン・オクロック・ジャンプ」であるかもしれないし、グレン・ミラーの「茶色の小瓶」であるかもしれない。帝都の夜は熱狂のうちに更けてゆく。
(中嶋憲武)
【執筆者プロフィール】
中嶋憲武(なかじま・のりたけ)
昭和35年(1960)東京生まれ。
平成6年(1994)「炎環」入会。作句をはじめる。 平成11年(1999)「炎環」新人賞。
平成12年(2000)「炎環」同人。
平成21年(2009)炎環賞。炎環エッセイ賞。
平成29年(2017)銅版画でANY展(原宿)参加。電子書籍「日曜のサンデー」。
平成30年(2018)攝津幸彦記念賞優秀賞。
平成31年(2019)第0句集「祝日たちのために(港の人)」。 「炎環」「豆の木」「豈」所属。
山岸由佳さんとの共同サイト「とれもろ」toremoro.ne.jp
「週刊俳句」で西原天気さんと「音楽千夜一夜」連載中。祝日たちのために
中嶋憲武 著
(港の人、2019年)
価格 1650円(税込)
ISBN 978-48962936232018年、第4回攝津幸彦記念賞・優秀賞を受賞した気鋭の俳人の、句(120句)+銅版画(13点)+散文(17篇)を収めたユニークな第一句集。句は2018年にツイッターで呟いたツイッター句であり、時代の風景にスリリングに迫っている。
■収録作品より
蟻塚を越え来て淋しい息つく
夏炉あかるく人語に星を数へ得ず
海の鳥居の晩春の石は鳥になる
手が空いてゐる月白の舟を出す
葛湯吹いて馬の体躯の夜がある
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
【2024年7月の火曜日☆村上瑠璃甫のバックナンバー】
>>〔1〕先生が瓜盗人でおはせしか 高浜虚子
>>〔2〕大金をもちて茅の輪をくぐりけり 波多野爽波
>>〔3〕一つだに動かぬ干梅となりて 佛原明澄
【2024年7月の木曜日☆中嶋憲武のバックナンバー】
>>〔5〕東京や涙が蟻になってゆく 峠谷清広
>>〔6〕夏つばめ気流の冠をください 川田由美子
【2024年6月の火曜日☆常原拓のバックナンバー】
>>〔5〕早乙女のもどりは眼鏡掛けてをり 鎌田恭輔
>>〔6〕夕飯よけふは昼寝をせぬままに 木村定生
>>〔7〕鯖買ふと決めて出てゆく茂かな 岩田由美
>>〔8〕缶ビールあけて東京ひびきけり 渡辺一二三
【2024年6月の水曜日?☆阪西敦子のバックナンバー】
>>〔124〕留守の家の金魚に部屋の灯を残し 稲畑汀子
>>〔125〕金魚大鱗夕焼の空の如きあり 松本たかし
【2024年6月の木曜日☆中嶋憲武のバックナンバー】
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>>〔2〕街の縮図が薔薇挿すコップの面にあり 原子公平
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>>〔4〕汗の女体に岩手山塊殺到す 加藤楸邨
【2024年5月の火曜日☆常原拓のバックナンバー】
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【2024年5月の水曜日☆杉山久子のバックナンバー】
>>〔5〕たくさんのお尻の並ぶ汐干かな 杉原祐之
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>>〔1〕麗しき春の七曜またはじまる 山口誓子
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【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】