【第52回】
新宿と福永耕二
広渡敬雄(「沖」「塔の会」)
日本を代表する繁華街・新宿は、甲州街道と青梅街道の分岐で、高井戸宿手前の新しい宿として新宿となった。
戦後しばらくは、駅の入口辺りに馬の水飲場があり、馬糞が臭ったと言う。東口には、信州高遠藩・内藤藩邸跡の新宿御苑、酉の市の花園神社、歌舞伎町の歓楽街。西口には、熊野神社のある新宿中央公園、かつての淀橋浄水場が昭和四十六年以降、東京都庁他の高さ二百メートル以上の新都心超高層ビル群となっている。平成十九年から始まった世界主要マラソンの一つ「東京マラソン」は、都庁が出発点である。
新宿ははるかなる墓碑鳥渡る 福永耕二
俳句文学館
花冷えの百人町といふところ 草間時彦
ビルの間を灯の海として酉の市 野田草太
五十八階全階の秋灯 辻 桃子
街路樹を伐つて秋めく歩道かな 染谷秀雄
灯の海の沖に新宿年守る 片山由美子
ビルディングごとに組織や日の盛り 高柳克弘
東京マラソン芽起こし雨となりにけり 広渡敬雄
人口に膾炙している「新宿」の句は、耕二の代表句と言われ、「俳句」昭和五十四年一月号が初出で、第二句集『踏歌』に収録。「高度成長の日本を象徴するかの高層ビル群の建物は、バベルの塔の如く佇む。友人の鎮魂の句とも言われるが、自らの早世を暗示する句になってしまった」(能村研三)、「社会的批評の眼も具えた作品」(横澤放川)、「高層ビルとその上を行く鳥の群れの構図は、二十歳の時のままだが、込められた思いは、既に深い憂愁に染まっている」(高柳克弘)、「だんだん遠くなっていく〈私〉の姿を見下ろす五千石の〈渡り鳥みるみるわれの小さくなり〉に対し、高層ビル群を「墓」に見立て、その向こうへ飛んで行く鳥を〈私〉が眺めている」(堀切克洋)、「高層ビル群は失われた心の故郷の墓標である」(浅川芳直)等の鑑賞がある。
忽然と出現した無機質な新都心の高層ビル群に対する言いようのない悲しみ、違和感を「墓碑」と言い切り、反面古今変わらず渡って来る鳥の影に詩情を沸き立たせる。
福永耕二は、昭和十三(一九三八)年鹿児島県川辺町(現南九州市)生れ。ラ・サール高校在学中、「馬醉木」に投句。二十歳で初巻頭で水原秋櫻子に師事。同四十(一九六五)年上京し、能村登四郎、林翔の在籍の市川学園に勤務。同四十五年、「馬醉木」編集長、「沖」にも所属し、創刊号第二席(ぬぎすてし一握の衣草いきれ)。同四十七年、秋櫻子の「波郷の再来」との序文の第一句集『鳥語』を上梓し、「馬酔木賞」「沖賞」受賞。若手俳人の信望も集め、「舵の会」等で指導を行った(橋本榮治、筑紫磐井、能村研三、中原道夫、正木ゆう子、野中亮介多々)。昭和五十五(一九八〇)年『踏歌』で俳句協会新人賞を受賞したが、直前に四十二歳で急死。若過ぎる死は多くの人に惜しまれた。
言なくて凍る夜をただ立ち尽くす 能村登四郎
酔泣きは号泣となる夜の枯野 林 翔
死後、みち子夫人の尽力で遺句集『散木』が刊行された。
又、故郷南九州市千貫平に、〈雲青嶺母あるかぎりわが故郷〉の句碑があり、平成十一(一九九九)年より、「かわなべ青の俳句大会」が開催され、毎回十万超の句が集まる。
「俳句という表現形式を愛し、それを人生と等価のものとして生きようとする努力が俳句の歴史を貫いて来た」(「沖」昭和五十二年十月号)として、「俳句は姿勢」を強い信条とした。静かな自然詠のなかにも、自我と俳句形式との緊張関係が深く潜んでいるのは、そのためなのかもしれない。「あたかも天が秋櫻子のために耕二を降らせ、やがて秋櫻子の死を知るや、天が慌ててこの俳人を召し上げたように思えて来る」(仲栄司)、「「馬醉木」の光り溢れる句風に加え、入念に作りあげられた不動の構図、つまり「形象力」が卓越しているうえ、忬情性の溢れる句も多い」(高柳克弘)、「三句集は、素材を青春で包む(『鳥語』)、現実的で大人として振舞うべき耕二の姿(『踏歌』)、自己と向き合う(『散木』)と上質の中編小説の読後感があり、その射程の深さに驚く」(大林桂)等の鑑賞がある。
濱木綿やひとり沖さす丸木舟
萍の裏はりつめし水一枚
街坂に雁見て息をゆたかにす
花冷や履歴書に捺す磨滅印
黒板にわが文字のこす夏休み
椎の花鉄棒下りし手のにほふ
子に見せてひとの庭なる鯉幟
子の蚊帳に妻ゐて妻もうすみどり (以上『鳥語』)
かなかなや夕暮に似て深曇
昼顔や捨てらるるまで櫂痩せて
父在らば図らむ一事朴咲けり
燕が切る空の十字はみづみづし(長崎・西坂)
凧揚げて空の深井を汲むごとし
踏青や手をつなぐ雲ひとり雲
蛍火やまだ水底の見ゆる水
落葉松を駆けのぼる火の蔦一縷〈尾瀬〉
浮寝鳥海風は息ながきかな
白魚の黒目二粒づつあはれ
点滴のあと薬臭の母の汗
梧桐に少年が彫る少女の名
新米の粒々青味わたりけり
柚子打の青空を打ち匂はしむ (以上『踏歌』)
一行詩白南風に立つ燈台は
郭公に耳立てて子も少年期
口よりも指さびしくて桜餅
ぼろぼろの身を枯菊の見ゆる辺に 辞世(以上『散木』)
俳句を語り、酒を愛し、高吟し、また、北アルプスを踏破し、その薩摩隼人の豪快な男ぶりは皆に愛されたが、余りに若すぎる死を思うと、その後の句を見たいとの思いが高まるのは、筆者のみではなかろう。
(「青垣」6号 加筆再構成)
【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。
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