郭公や何処までゆかば人に逢はむ
臼田亜浪
当地ではそろそろ郭公の初鳴きが聞かれるころ。畑では種まきや植え付けが本格化している。郭公は古来「閑古鳥」と呼ばれたように寂しさが本意とされているが、私はあの声には大いなる明るさを感じる。遠い林から、作業に勤しむ農民を鼓舞するように、美声をあたり一面に響かせるのだから。
おそらく本州では郭公は人里離れたようなところにしかいないので、鳴き声が虚ろに響いているように感じられるのだろう。そのあたりが、平地でも鳴く北海道との感覚の違いとなっているのだと思われる。
郭公や何処までゆかば人に逢はむ
掲句は、亜浪が病後の療養のために渋温泉に滞在していたときの体験をのちに回想して作った句で、「ひとり志賀高原を歩みつつ」という前書がある。志賀高原は現在はリゾート地として有名だが、当時(1914年)は散策中に人に会うこともなかなか無かったのだろう。「何処までゆかば人に遭はむ」というのだからいかにも寂しげな句ではあるが、私にはどこか作者の前向きな表情が感じられる。それは先に書いたような郭公の声の印象からもたらされる感覚なのだろう。
「人に逢はむ」というときの「人」は決して逢えない人ではなく、いつか逢う運命にある人とも言える。そう思えば、高原をひとりゆく作者は未だ見ぬ人との邂逅に向けて、郭公の声に後押しされながら歩いているという希望の滲む景となる。亜浪は翌1915年に大須賀乙字とともに「石楠」を創刊するのだから、この読みもまったく的外れという訳ではないかもしれない。 「亜浪句鈔」(1927年)所収。
(鈴木牛後)
【執筆者プロフィール】
鈴木牛後(すずき・ぎゅうご)
1961年北海道生まれ、北海道在住。「俳句集団【itak】」幹事。「藍生」「雪華」所属。第64回角川俳句賞受賞。句集『根雪と記す』(マルコボ.コム、2012年)、『暖色』(マルコボ.コム、2014年)、『にれかめる』(角川書店、2019年)。
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