俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第45回】 池田と日野草城


【第45回】
池田と日野草城

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


池田は、北摂津の要の位置にあり、万葉集にも詠まれた五月山(大阪府内有数の桜の名所)を擁し、平安時代は荘園、戦国時代は池田氏、荒木村重の居城があった。近世には西国街道、能勢街道の交わる市場町として栄え、池田炭や日本四大産地の植木、「呉春」等の酒造業が名高い。

五月山公園(池田市観光協会)

阪急電鉄の開通後は、大阪の有数の住宅地となり、世界初のインスタントラーメン(日清食品・安藤百福)の「カップヌードルミュージアム」、阪急東宝グループの創業者小林一三の逸翁美術館、小林文庫がある。平成13年6月の池田小学校無差別殺傷事件も記憶に新しく、南に接する伊丹市には日本三大俳諧コレクション「(かき)(もり)文庫」がある。

カップヌードルミュージアム(池田市観光協会)
林一三記念館(池田市観光協会)

  夏布団ふはりとかかる骨の上       日野草城

  池田とや名乗る天下の炭がしら      西山宗因

  初花や天地俄に甲斐甲斐し (五月山)  鈴木貞雄

  逸翁の茶会記を並め花の館 (逸翁美術館)高橋照子

  土用芽や寸に足らざる影の濃し(池田小) 広渡敬雄

  梢頭に冬日を発し遺愛柿(柿衛文庫)   丸山海道

〈夏布団〉は、草城晩年を代表する、沈潜の度合いを深めた第七句集『人生の午後』に収録。亡くなる迄の六年間強、病床生活の中で俳句のみに没頭。布団に臥したまま、愛妻(やす)子と「青玄」を読む有名な写真を髣髴させる。巻初に「晏子さん、もしも、あなたが私を支へてゐて呉れなかったら、私のいのちは、今日まで保たれなかったでせう。この貧しい著書をあなたに贈ります。これが今の私に出来る精一杯の御礼なのです。 草城」の献詞がある。

柿衞文庫(公益財団法人柿衞文庫)

日野草城は、明治34(1901)年東京下谷区生れ、本名(よし)(のぶ)。同年生れには、山口誓子、中村草田男、秋元不死男、瀧春一と後の俳壇の逸材が多い。俳句も嗜む父(俳号静山)の韓国勤務で、京城中学を経て進学した旧制三高時代に、虚子に初見(ホトトギス投句は17歳)し、鈴鹿野風呂と京大三高俳句会を結成(その後「京鹿子」創刊)。

才気煥発、鋭利な感性で頭角を現わし、二十歳の大正10(1921)年ホトトギス雑詠初巻頭。26歳で「学生即知識階級の人々の中で、先ず草城君を第一に推す」の虚子序文の第一句集『草城句集(花氷)』を上梓し、昭和4年28歳でホトトギス同人。従来の俳句にはない都会の風景、哀歓を詠い、端正で颯爽とした容姿で一世を風靡。

逸翁美術館(池田市観光協会)

同9(1934)年、〈枕辺の春の(ともし)は妻が消しぬ〉〈をみなとはかかるものかも春の闇〉等「ミヤコホテル」連作十句で俳壇の物議を醸し、翌年「青嶺」「ひよどり」「走馬燈」の三誌併合の連作・無季俳句も容認する新興俳句系「旗艦」(富沢赤黄男、片山桃史、安住敦、西東三鬼他)を創刊主宰。同十一年には、虚子の逆鱗に触れ、吉岡禅寺洞、杉田久女と共にホトトギスを除名された。同十五年頃から、俳壇への弾圧(京大事件)と、健康上の理由で俳壇を離れ、終戦直前には、戦災により家財道具、蔵書一切を焼失した。

同24(1949)年には、永年勤務し、人事部長も勤めた大阪海上火災保険㈱(現住友海上火災保険㈱)を肺炎等の長期療養のため退職し、池田市石橋駅近くに建坪十二坪の家を建て、「日光草舎」と称して「青玄」を創刊主宰。桂信子、伊丹三樹彦・公子、室生幸太郎等を育成するも、更に緑内障で右眼も失明した。虚子の見舞いを受け、ホトトギス同人(虚子最後の同人推薦)に復帰したが、翌昭和31(1956)年1月29日逝去。享年54歳。

病床の日野草城夫妻(日光草舎)

池田に近い豊中・服部緑地公園には、「俳句は東洋の真珠である」の一文と無季〈見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く〉も含めた〈春暁やひとこそ知らね木々の雨〉〈松風に誘はれて鳴く蝉一つ〉等五句を刻した御影石の句碑があり、生涯に八句集。娘婿室生幸太郎編の『日野草城全句集』もある。

豊中市服部緑地公園の草城句碑

「極端な早熟型と極端な晩成型」(山本健吉)、「都会的時代を詠む瑞々しい感性と、戦後に於ける病床の境涯句の深い人生観照、天衣無縫の詠みぶり」(桂信子)、「清新な抒情の天分の詩才は、近代俳句史の五指に入る存在。生得の天分の人はその初期から完璧な表現を取り、且つ発想のプロセスを見せない。凡百にはつけ入る隙がなく、一見大衆に迎えられるように見えて、いつか別座敷に置かれる不幸を持つ」(飯田龍太)、「初期の名声で判断されるという辛い立場に立たされ続けた一人の俳人の落差の大きさが心に沁みる。晩年から青年期に遡って読む読み方がこの俳人には似つかわしい」(大岡信)「俳句に取り込む物の広さ、厚さ、多様さこそ評価されるべき」(宗田安正)「細やかで柔らかい感性と刃のような才気の冴えの資質の草城。早熟と晩成の間の多くの人が無視して通る歳月は果たして何だったのだろう」(宇多喜代子)、「反発しながらも、尊敬と愛情で長年深く結ばれていた師弟」(林誠司)等々の評がある。

春の夜や檸檬に触るる鼻のさき

春の灯や女は持たぬのどぼとけ

ものの種にぎればいのちひしめける

ところてん煙の如く沈みをり

秋の夜や紅茶をくぐる銀の匙

船の名の月に読まるる港かな

水かへて水仙影を正しけり

手をとめて春を惜めりタイピスト

夏の雨きらりきらりと降りはじむ

手袋をぬぐ手ながむる逢瀬かな

かいつぶりさびしくなればくぐりけり

桃史死ぬ勿れ俳句は出来ずともよし(「旗艦」同志片山桃史)

山茶花やいくさに敗れたる国の

大服茶やひとのなさけにながらへて

十六夜や(しゅ)(びん)かがやく緑の端

高熱の鶴青空に漂へり

切干やいのちの限り妻の恩

生きるとは死なぬことにてつゆけしや

先生はふるさとの山風薫る(虚子先生を草舎に迎ふ)

思ふこと多ければ咳しげく出づ

草城を語る時、居住まいを正し「草城先生」と述べた桂信子が終生尊敬したその清らかな心から生み出された作品群は、生涯一貫していると思わざるを得ない。

(「たかんな」令和4年5月号、加筆再構成)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会幹事。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


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