かけろふやくだけて物を思ふ猫
論派
この地球上では、実に多くの人たちが猫を考えることを以ってしておのれの存在および世界を日々構築している。考えてみるとこれはかなり奇妙な現象だ。世間には猫好きと同じくらい犬好きの人もいるけれど、彼らが犬との共生を以ってして存在ないし世界について蒙を啓いたとか、犬と暮らすことを哲学的な実践だと語ったりしたという話はまず耳にしない。
犬にも猫にも肩入れしたことのないわたしは、猫派たちが「猫は束縛されない」とか「猫は自由だ」とか、人間にとって理想とされる概念をことさら投影しすぎである点についてたまに思うところがある。そういった概念で語ろうとするのは猫を言語に囲い込んでいるということで、つまり猫の内にひろがる世界の解像度をわざわざ低くしてしまっているのではないか、と。それでいつだったか、猫と哲学を結びつけるのが好きな知人にそう言ってみたら、知人は、
「君のいう通りだよ。猫は本来哲学以上の存在で、僕たち人間はたかだか哲学ができるだけなんだ」
と笑った。わたしの言うことが伝わっているのか、伝わっていないのか、よくわからない返答だ。まあそんな話はいいとして、猫と哲学が結びつくのは昔からのようで、『三千化』にこんな句がある。
かけろふやくだけて物を思ふ猫 論派
「かけろふ」は陽炎、春の晴れた日にみえる色のないゆらめきのことで、あるかないかわからないもの、はかなく消えやすいもののたとえだ。「くだけて物を思ふ」は百人一首〈かぜをいたみ岩うつ波のおのれのみ砕けてものを思ふころかな/源重之〉のフレーズを借用している。存在感と不在感が重なり合う陽炎がほどけてゆく中に、つやつやした満身の毛をむらむらさせながら物思いにふける猫が居るというのは、なるほど存在論的な光景だと言えなくもない。猫派の目線でみると変性意識状態の実践くらいに錯覚されるのではないか。しかもこの句の作者の号が「論派」。いかなる学派か知らないが、猫を語るにぴったりである。と、ここまで書いて、昔わたしも猫の狂歌を詠んでいたことを思い出してしまった。しかも哲学の話題にちょこっとだけ重なっているのだ。たいしたものではない、というか、完全にふざけた手遊びではありますが、ついでにこちらもどうぞお納めください。
ねころんで、と打ち込んで猫論を掘り出す午後のなんてうららか 小津夜景
(小津夜景)
【執筆者プロフィール】
小津夜景(おづ・やけい)
1973年生まれ。俳人。著書に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)、翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版、2018年)、近刊に『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(素粒社、2020年)。ブログ「小津夜景日記」
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