ひと魂でゆく気散じや夏の原
葛飾北斎
俳人は季節に対して、それぞれ固有の距離感を持っている。自分の場合、句の書きやすさの観点からいうと春秋が親しいけれど、なにをどう書いても情趣が生まれるところが嫌と言えば嫌かもしれない。歴史の文脈をまとった様式美への嫌悪は、定型をあやつる者が一度は抱いたほうがいい感覚だ。そうでないと天然への観察力が養われないといった退屈な理由からではなく、愛情一般における定式として、様式という人工物の美しさ(とその悲しみ)を噛みしめるには、どうしたって憎悪をくぐり抜ける必要があるからである。
いっぽう書きがいがあるかどうかの観点からいうと、わたしは夏が好きである。江戸の暮らしを書いた句には、夏ならではの趣味が味わえる句が多い。
ひと魂でゆく気散じや夏の原 葛飾北斎
北斎辞世の句で「ひとだまになって夏の原っぱをぶらりとゆこうか」という意味だけれど、こんなクールな辞世の句はお目にかかったことがない。殊に「夏」と「ひと魂」の組み合わせがいい。草が生い茂る原っぱをふわふわと漂い遊ぶ、暑い夏の昼下がり。「春」や「秋」だと雅趣が強すぎたり、漢詩的になったりして、権威に対する北斎の叛逆性が見えづらくなっただろう。この「夏」は動かない季語だ。
ところで文芸上の人格というのは、あくまでも作者が理想とする一つの価値の表出であり、現実の作者の感情と同じであるとはかぎらない。この辞世の句を詠んだ北斎も同様で、実際の彼には強烈な我欲があった。「画狂老人卍」という筆名だって、振り払っても、振り払っても、払いきれない業の表明である。飯島虚心『葛飾北斎伝』によると、北斎は死ぬまぎわに「天我をして五年の命を保たしめバ、真正の画工となるを得べし」と吃りながら言ったという。
(小津夜景)
【執筆者プロフィール】
小津夜景(おづ・やけい)
1973年生まれ。俳人。著書に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)、翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版、2018年)、近刊に『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(素粒社、2020年)。ブログ「小津夜景日記」
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