【第54回】
宗谷海峡と山口誓子
広渡敬雄(「沖」「塔の会」)
道北の宗谷海峡は、日本最北端宗谷岬と樺太南端野登呂岬の海峡。日本最北端の碑がある岬からはサハリン(樺太)が望め、西へ3キロの地に文化5(1808)年、海峡を渡った間宮林蔵の渡樺出港の碑がある。稚内市は利尻・礼文島への連絡船の基地で、稚内公園には、樺太への望郷の思いの慰霊碑「氷雪の門」、真岡郵便局の9人の乙女の慰霊碑、樺太犬タロ・ジロの記念碑があり、展望塔からはサハリン、利尻礼文、サロベツ原野の360度の絶景である。
流氷や宗谷の門波荒れやまず 山口誓子
秋の風宗谷の波が牆の上 加藤楸邨
飛雪中碑の文字日本最北端 轡田 進
氷雪の門樺太は夏霞 小坂順子
サハリンが見えて風なき夏野かな 戸恒東人
海霧俄かたちまち閉ざす宗谷の門 福永法弘
葛黄ばむ遠く樺太横たはり 津髙里永子
雲丹採にかたむき迫る利尻富士 沢田緑生
はまなすやなほ北見据う林蔵像 井原美鳥
「流氷」句は、大正15年作。第一句集『凍港』に収録、他に〈凍港や旧露の街はありとのみ〉〈唐太の天ぞ垂れたり鰊群来〉がある。「宗谷海峡を捕まえて詩の一画に置いた感があり、わが俳句の新境地に鉄の草鞋を踏み入れた」(虚子)、「少年時代の樺太の印象に拠り、稚泊連絡船上での嘱目の景。「門波」は万葉語の誓子の造語で、「流氷」はこの句で季語として定着した」(山本健吉)、「樺太での原体験のイメージの展開句、格調の高さ、句柄の大きさ、その素材の新しさに作者の出発を確認する」(行方克巳)の評がある。
誓子は明治34(1901)年、京都生れ。本名新比古。家庭の事情で明治四十五年、外祖父で樺太日日新聞社長の脇田嘉一に迎えられ樺太・大泊で五年間すごした後、京都に戻り第三高等学校に入学。日野草城らの「京大三高俳句会」に出席。「ホトトギス」にも投句を開始した。
大正11(1922)年、初めて虚子に会い、俳号を「誓子」から「誓子」と改めた。東京帝国大学法学部入学後は東大俳句会にも出席。同13年10月号で「ホトトギス」初巻頭。肺尖カタルで高文受験を止め、一年間の休学後、同15年に大阪住友合資会社に入社。翌年には「ホトトギス」課題選者になり、水原秋櫻子、高野素十、阿波野青畝と共に4Sと称された。昭和3年に浅井梅子(波津女)と結婚。
同7年には近代俳句の黎明と言われ、虚子の「今の俳句界の誓子君を待つところのものは多大で、辺塞に武を行る征虜大将軍」との最大の賛辞序文の処女句集『凍港』を上梓した。同九年には、満州にも長期出張し、〈ただ見る起き伏し枯野の起き伏し〉〈陵さむく日月空に照らしあふ〉〈掌に枯野の低き日を愛づる〉等の句を発表している。同十(1935)年、秋櫻子と共に「ホトトギス」を離れ「馬酔木」に参加。近代的素材を取り上げ、硬質な叙情句を開拓し、新興俳句運動の旗手を担う。但し、無季俳句とは一線を画した。同13年には体調を崩し、会社を長期欠席する。
4年後に会社を退職し、療養と俳句に専念。伊勢・富田や四日市の天ケ須賀海岸に住む。同23(1948)年には「天狼」を創刊主宰。西東三鬼、秋元不死男、平畑静塔、橋本多佳子、永田耕衣、津田清子、三橋敏雄、鈴木六林男、八田木枯等の俊英が参集し、戦後俳句の復活に貢献。「根源俳句」を訴求した。
永年「朝日俳壇」選者を務め、芸術院賞、文化功労者顕彰。ロシア崩壊後の平成4(1992)年サハリンを再び踏み、同5年、「天狼」を終刊し、翌年3月26日、92歳で逝去。阪神淡路大震災で倒壊した旧宅を復元した神戸大学内の山口誓子記念館に、関連資料、蔵書が陳列され、〈虹の環を以て地上のものかこむ〉(誓子)、〈毛糸編み来世も夫にかく編まん〉(波津女)の句碑がある。句集は、『凍港』『黄旗』『激浪』『断崖』等二十二句集。他に山口誓子全集十巻、自選句集等がある。
「昭和俳人で確実に幾百年後の俳句史に残ると断定できるのは誓子一人である」(小西甚一)、「誓子俳句には絵画的構成があり、絵画に対する深い理解がある」(水原秋櫻子)、「秋櫻子は、短歌的、抒情的、詠歎的、誓子は構成的、知的、即物的であるが、その調べや叙法は共通点があり、共に従来の寂、しおり等の古い俳句臭と袂別し、大胆に新しい近代的スタイルを樹立した」(山本建吉)、「即物的で知的でしかも非常な冬の「無」を通して、「無限」な表現をかち得た「冬の作家」」(鷹羽狩行)、「戦中の偽装転向的句業への戦後の心の葛藤に心が痛む」(戸恒東人)等の評がある。
学問のさびしさに堪へ炭をつぐ 『凍港』
匙なめて童たのしも夏氷
七月の青嶺まぢかく熔鉱炉
かりかりと蟷螂蜂の皃を食む
夏草に汽罐車の車輪来て止る 『黄旗』
ピストルがプールの硬き面にひびき 『炎昼』
夏の河赤き鉄鎖のはし浸る
ひとり膝を抱けば秋風また秋風 『七曜』
蟋蟀が深き地中を覗き込む
麗しき春の七曜またはじまる
つきぬけて天上の紺曼珠沙華
城を出て落花一片いまもとぶ 『激浪』
海に出て木枯帰るところなし 『遠星』
せりせりと薄氷杖のなすまゝに
土堤を外れ枯野の犬となりゆけり
炎天の遠き帆やわがこころの帆
夕焼けて西の十万億土透く 『晩刻』
波にのり波にのり鵜のさびしさは 『青女』
蛍獲て少年の指みどりなり
悲しさの極みに誰か枯木折る
海に鴨発砲直前かも知れず 『和服』
冬河に新聞全紙浸り浮く 『方位』
美しき距離白鷺が蝶に見ゆ 『青銅』
日本がここに集る初詣
修二会見る桟女人の眼女人の眼
幼少の頃より、両親との別離、母の自殺等が原体験として誓子の心に深く根ざしていた。夫人との愛情豊かな暮らしの反面子どもには恵まれず、重ねて健康を損ない栄進の道を閉ざされた。その上、空襲や台風で二度自宅が焼失損壊する等により、ヒューマンなものより無感動で即物的な句が大半を占めるものの、現代俳句の最高峰たることに異論はない。
【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。
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