辛酸のほどは椿の絵をかけて 飯島晴子【季語=椿(春)】


辛酸のほどは椿の絵をかけて)

飯島晴子

辛酸の「ほど」とは。「程度」という意味にもとれるし、「ご検討のほどよろしくお願いします」のような「ほど」ともとれる。前者の場合には、椿の絵をかけることによって、辛酸の程度が占われるような感じがする。椿の絵をかけなければ、本当にどれくらい辛いかはわからないということでもある。後者だと、意味としては辛い時に椿の絵をかける、というくらいになろうが、妙に丁寧な言葉遣いが、きっちりと整った狭い座敷などを思わせる。辛い時こそ、この閉鎖空間に椿の絵をかけてやり過ごそうというところだろうか。

散文の文法をそのまま当てはめることのできないこのような句の場合、雰囲気だけでなんとなく評される場合が多い。しかしながら、そういう句ほど、踏み込んで解釈をし、どのような世界が展開されているかを具体的に想像する必要がある。晴子俳句を読む醍醐味の一つでもあろう。

以前、〈つひに老い野蒜の門をあけておく〉〈鶯に蔵をつめたくしておかむ〉〈かげろふの坂下りて来る大あたま〉〈やつと大きい茶籠といつしよに眠らされ〉〈草に木に手を隠しゆく宮参〉〈よき声の椿をはこぶ闇路あり〉といった一連の句に、赤子の誕生という文脈を勝手に与えた。その中に掲句は配置されている。すると、この「椿の絵」は、赤子の絵という解釈もできるのである。

小山玄紀


【執筆者プロフィール】
小山玄紀(こやま・げんき)
平成九年大阪生。櫂未知子・佐藤郁良に師事、「群青」同人。第六回星野立子新人賞、第六回俳句四季新人賞。句集に『ぼうぶら』。俳人協会会員


小山玄紀さんの句集『ぼうぶら』(2022年)はこちら↓】


【小山玄紀のバックナンバー】
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>>〔21〕怒濤聞くかたはら秋の蠅叩   飯島晴子
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>>〔16〕細長き泉に着きぬ父と子と   飯島晴子
>>〔15〕この人のうしろおびただしき螢 飯島晴子
>>〔14〕軽き咳して夏葱の刻を過ぐ   飯島晴子
>>〔13〕螢とび疑ひぶかき親の箸    飯島晴子
>>〔12〕黒揚羽に当てられてゐる軀かな 飯島晴子
>>〔11〕叩頭すあやめあざやかなる方へ 飯島晴子


>>〔10〕家毀し瀧曼荼羅を下げておく 飯島晴子
>>〔9〕卯月野にうすき枕を並べけり  飯島晴子
>>〔8〕筍にくらき畳の敷かれあり   飯島晴子
>>〔7〕口中のくらきおもひの更衣   飯島晴子
>>〔6〕日光に底力つく桐の花     飯島晴子
>>〔5〕気を強く春の円座に坐つてゐる 飯島晴子
>>〔4〕遅れて着く花粉まみれの人喰沼 飯島晴子
>>〔3〕人とゆく野にうぐひすの貌強き 飯島晴子
>>〔2〕やつと大きい茶籠といつしよに眠らされ 飯島晴子
>>〔1〕幼子の手の腥き春の空   飯島晴子


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