おとつさんこんなに花がちつてるよ 正岡子規【季語=花散る(春)】


おとつさんこんなに花がちつてるよ)

正岡子規)


季語は「花散る」。散っているのはもちろん桜の花である。講談社版『子規全集』では明治二十五年作の抹消句として掲載されている。同全集の「解題」には「これらの抹消句は、句稿を精選するという意図のもとに、清書後間もないころの推敲によるものであろうか。それとも抹消句のなかには新聞や雑誌に載せた句もあるので、自選句集編纂のたびごとに順次抹消したと考えるべきであろうか」(和田茂樹)とある。つまり、『寒山落木』の原本を見ると墨で線が引いてあるけれど、子規がそのようにした理由は不明ということだ。

夏井いつき著『子規365日』(朝日新聞出版、平成二十年八月刊)に「この句はどうみても江戸弁だよなあ。伊予弁だと「おやっさん、こがいに花が散りよるぞな」ぐらいになるのか」とあるが、それもそのはず、やはり墨で消された前書には「上野にて子供の言葉を聞くに」と書かれていたのだった。

子規の同郷の友人・勝田主計(しょうだかずえ)の著書『ところてん』(日本通信大学出版部、昭和二年七月刊)によれば、主計と花盛りの上野公園を散歩した際、母親に手を引かれた五、六歳の女児が「お母さん、あんなに花が咲いているよ」と叫ぶのを見た子規が「あれだ、あれだ。俳句の妙ここにあり」と言ったんだとか。主計は明治二十五~二十七年頃によく子規らと句会や吟行を共にしていたというから、このエピソードが掲句の案出にかかわった可能性は大いにある。

面白いのは、「お母さん」が「おとつさん」に、「咲いてるよ」が「ちつてるよ」に変わってているところ。もし、掲句が主計の記した出来事を元に詠まれたのであれば、この改変は子規の詩心の表れであると言える。

松尾清隆


【執筆者プロフィール】
松尾清隆(まつお・きよたか)
昭和52年、神奈川県平塚市生まれ。「松の花」同人。元編集者。「セクト・ポクリット」管理
人・堀切克洋が俳句をはじめる前からの〝フットサル仲間〟でもある。

【松尾清隆の自選10句】

橋脚にふれて膨らむ春の水

へその緒のやう風船の結び目は

硝子戸の外なるアマリリスに風

髪洗ふ途中で今日も目を瞑る

峰雲のそのまた先の雲の峰

遠目にも妻だとわかる夏帽子

特別なビー玉入りのラムネ瓶

けふの月もう一杯の紅茶欲し

心臓のかたちの落葉踏んでしまふ

満月を寒満月と言ひ直す


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2022年3月の火曜日☆松尾清隆のバックナンバー】

>>〔1〕死はいやぞ其きさらぎの二日灸   正岡子規
>>〔2〕菜の花やはつとあかるき町はつれ  正岡子規
>>〔3〕春や昔十五万石の城下哉      正岡子規
>>〔4〕蛤の吐いたやうなる港かな     正岡子規

【2022年3月の水曜日☆藤本智子のバックナンバー】

>>〔1〕蝌蚪乱れ一大交響楽おこる    野見山朱鳥
>>〔2〕廃墟春日首なきイエス胴なき使徒 野見山朱鳥
>>〔3〕春天の塔上翼なき人等      野見山朱鳥

【2022年2月の火曜日☆永山智郎のバックナンバー】

>>〔1〕年玉受く何も握れぬ手でありしが  髙柳克弘
>>〔2〕復讐の馬乗りの僕嗤っていた    福田若之
>>〔3〕片蔭の死角から攻め落としけり   兒玉鈴音
>>〔4〕おそろしき一直線の彼方かな     畠山弘

【2022年2月の水曜日☆内村恭子のバックナンバー】

>>〔1〕琅玕や一月沼の横たはり      石田波郷
>>〔2〕ミシン台並びやすめり針供養    石田波郷
>>〔3〕ひざにゐて猫涅槃図に間に合はず  有馬朗人
>>〔4〕仕る手に笛もなし古雛      松本たかし

【2022年1月の火曜日☆菅敦のバックナンバー】

>>〔1〕賀の客の若きあぐらはよかりけり 能村登四郎
>>〔2〕血を血で洗ふ絨毯の吸へる血は   中原道夫
>>〔3〕鉄瓶の音こそ佳けれ雪催      潮田幸司
>>〔4〕嗚呼これは温室独特の匂ひ      田口武

【2022年1月の水曜日☆吉田林檎のバックナンバー】

>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希

【2021年12月の火曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔1〕柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡子規
>>〔2〕内装がしばらく見えて昼の火事   岡野泰輔
>>〔3〕なだらかな坂数へ日のとある日の 太田うさぎ
>>〔4〕共にゐてさみしき獣初しぐれ   中町とおと

【2021年12月の水曜日☆川原風人のバックナンバー】

>>〔1〕綿入が似合う淋しいけど似合う    大庭紫逢
>>〔2〕枯葉言ふ「最期とは軽いこの音さ」   林翔
>>〔3〕鏡台や猟銃音の湖心より      藺草慶子
>>〔4〕みな聖樹に吊られてをりぬ羽持てど 堀田季何
>>〔5〕ともかくもくはへし煙草懐手    木下夕爾

【2021年11月の火曜日☆望月清彦のバックナンバー】

>>〔1〕海くれて鴨のこゑほのかに白し      芭蕉
>>〔2〕木枯やたけにかくれてしづまりぬ    芭蕉
>>〔3〕葱白く洗ひたてたるさむさ哉      芭蕉
>>〔4〕埋火もきゆやなみだの烹る音      芭蕉
>>〔5-1〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【前編】
>>〔5-2〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【後編】

【2021年11月の水曜日☆町田無鹿のバックナンバー】

>>〔1〕秋灯机の上の幾山河        吉屋信子
>>〔2〕息ながきパイプオルガン底冷えす 津川絵理子
>>〔3〕後輩の女おでんに泣きじゃくる  加藤又三郎
>>〔4〕未婚一生洗ひし足袋の合掌す    寺田京子

【2021年10月の火曜日☆千々和恵美子のバックナンバー】

>>〔1〕橡の実のつぶて颪や豊前坊     杉田久女
>>〔2〕鶴の来るために大空あけて待つ  後藤比奈夫
>>〔3〕どつさりと菊着せられて切腹す   仙田洋子
>>〔4〕藁の栓してみちのくの濁酒     山口青邨

【2021年10月の水曜日☆小田島渚のバックナンバー】

>>〔1〕秋の川真白な石を拾ひけり   夏目漱石
>>〔2〕稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男
>>〔3〕嵐の埠頭蹴る油にもまみれ針なき時計 赤尾兜子
>>〔4〕野分吾が鼻孔を出でて遊ぶかな   永田耕衣


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

関連記事