遊女屋のあな高座敷星まつり
中村汀女
(山本建吉編『基本季語五〇〇選』1986年)
東京へ出てきてから街場で七夕祭を新暦七月七日にやっているのを初めて見た。けっこうあちらこちらで新暦で七夕の笹を飾っているらしく、どの程度調査されているのかわからないが、全国的にはむしろそっちのほうがメジャーなのかもしれない。しかしながら、もちろん俳句では秋の季語であり、感覚が夏でとらえたものを秋で世に出すとすればもやもやするのだが、これを夏の季語にしましょうと提案がなされたという話は聞かない。
さて掲句。これがなんだかよくわからない。そもそも、山本建吉はなんでこの句を選んだのだろう、というところからして謎である。中村汀女といえば、「咳の子のなぞなぞあそびきりもなや」、「外にも出よ触るるばかりに春の月」、「とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな」といった句が知られている。明暗で言えば明、朗鬱でいえば朗の詠み手であるが、どうもそのような方向の句ではない。というかそういう価値判断の材料がなく、この作家が遊女という仕事をどう眼差していたのかはあえて無化してあるようにも見える。「あな」は普通に読めば感動詞で「ああ」くらいの意だから、「ああ高座敷」ということになるが、そうやって感嘆されている「高座敷」が、これまたなんのことやらわからない。調べた範囲で座敷の種類ではないようで、では格式も支払いもお高いお座敷ということなのか?「遊女屋のお座敷のあらまあなんとお高いこと」なんて詠んだ句がいいとはまったく思われないのだけれど。とある格式の高い遊女屋の星祭りに古風が継続されていて、一度見てみたいものだがそうもいかない、という風に詠んだのならば、俗ながら多少興趣もありそうな気がするし、なぜこの句が選ばれたかを推測するとき、遊女屋の七夕という滅び去った文化の風景を詠んでいる、ということ以上のものはない気もする。してみると、ハナから浮世絵の中の風景でも詠んだものであっただろうか。
(橋本直)
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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。