藍を着古し
棚田の
父祖の
翳となる
上田玄
寺山修司に、日本人を呪縛する封建主義についてのこんな文章があります。
「家」は、その本質としては、土地への反喩である。土地は不滅だが、家族は交換可能だからである。
だが、土地と人とを結びつける呪的因果律として「家」をとらえようとして、前近代の悲劇はくりかえされてきた。
生きかわり死にかわりして打つ田かな
という村上鬼城の一句に見出されるような宿命思考は、土地を媒体にして、血縁関係を永続化しようとする企らみである。(寺山修司「歌と望郷ー石川啄木」)
ところで、さいきん上田玄『暗夜口碑』をひらき、次の句に出会ったんです。
藍を着古し
棚田の
父祖の
翳となる 上田玄
この句に、風土に対する宿命論的承認や敗北主義的心性を嗅ぎとるのは不可能ではありません。けれどもわたしは「藍を着古し」という描写に、むしろ短歌でおなじみの、よれよれのコートないし外套が担う演劇性(*1)を感じました。というのは他でもない、『暗夜口碑』を一読する限り、上田氏の描く家族には寺山修司的な虚構性が濃いんですよ。で、そこから掲句の着古した藍とは土地への服従を表す衣装ではなく、異国ないし異界とつながるための明確な道具立てではないかと考えたわけです。「父祖の翳」という表現も作劇効果が明白。棚田に佇む作中人物のすがたに、こんな短歌が思い出されたりもしました。
激動の昭和を送る遠空に死霊を負ひて去らぬ鳥たち 富小路禎子
(*1) 「異国ないし異界とつながる」コートないし外套、例歌2首。
外套のままのひる寝にあらわれて父よりほかの霊と思えず 寺山修司
あおぞらにトレンチコート羽撃けよ寺山修司さびしきかもめ 福島泰樹
(小津夜景)
【執筆者プロフィール】
小津夜景(おづ・やけい)
1973年生まれ。俳人。著書に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)、翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版、2018年)、近刊に『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(素粒社、2020年)。ブログ「小津夜景日記」
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