きちかうの開きて青き翅脈かな 遠藤由樹子【季語=きちかう(秋)】


きちかうの開きて青き翅脈かな()

遠藤由樹子


わたくしごとになるが、アメリカの秋分の日だった、先週の水曜日の9月22日、仲秋の月のもと、夫でピアニストTaka Kigawa(木川貴幸)リサイタルがマンハッタンで行われ、大盛況のうちに終了した。

新型コロナ感染症の爆発的な拡大により、ニューヨーク市が事実上の都市封鎖になった昨年の3月以降、昨年の12月に行われたニューヨーク在日本領事館の招待によるリサイタルを除いては、おおやけでの演奏活動は許されていなかったが、その後の感染状況の好転による米国各地での規制解除に伴い、州外や市外での演奏活動は7月から開始。そしてこの度、1年6ヶ月を経てのマンハッタンでのリサイタルとなった。筆者もワクチン摂取を済ませた今年1月から現地勤務を部分的に開始。この9月からはアメリカの新学年度が、感染防止策を講じた上でほぼ通常どおり始まっている。筆者夫婦は、ニューヨークの新しい日常を日々体験中だ。

さて、昨年の10月7日、愛すべき野の花「つゆくさ」で始まった、第1期水曜ハイクノミカタも1年を経た。最後もやはり、皆さんに、美しい野の花を「寝息と梟」よりお贈りしたい。

きちかうの開きて青き翅脈かな

〈きちかう〉は桔梗(ききょう)の別名で、秋の季語。キキョウ科キキョウ属の多年草で、野や山の日当たりの良い所に育つ。

小さな紙風船のように空気を含んだつぼみを持つため、英名は”balloon flower”(風船の花)。とても愛らしい。よく見ると、そのつぼみには、緻密に計算したかのように、5本の線が入っており、一寸の無駄もなくその線に沿って裂けて花が開く様子には、自然の摂理の神秘を見る。青紫色に星型の輪郭を定かに開くその姿は凛として美しい。

歴史を見てみよう。「万葉集」の秋の七草の「あさがほ」は桔梗だという。桔梗の花をかたどった家紋、桔梗紋は安土桃山時代の武将、明智光秀も用いていたというし、陰陽師(おんみょうし)安倍晴明(あべのせいめい)が使用した五芒星は桔梗印と呼ばれ、京都の晴明神社では神紋とされているという。また、桔梗の根は、肺・気管支の熱をとる漢方の生薬でもある。

このように古くから日本で愛されていた桔梗を筆者もこよなく愛する一人。桔梗は日本全土、朝鮮半島、中国、東シベリアに分布する、ということだが、数年前に、セントラルパークにも咲いているのを夫が見つけて以来、毎年開花を楽しみにしている。

今年も、いつもの散歩スポットの公園で可憐に咲く姿を見つけた。

(マンハッタンの91ストリート•ガーデンにて2021年9月に撮影)

きちかうの開きて青き翅脈かな

翅脈(しみゃく)〉は昆虫の翅(はね)にみられる脈。桔梗の花びらをよくみると、脈が通っている。葉の脈は葉脈(ようみゃく)と呼ぶように、花の脈は花脈(かみゃく)と呼び、この管を通って水分や養分が葉や花全体に行き渡る。

「きちこうが花開いて青い翅脈であることよ」

桔梗の花脈を翅脈のようであると捉えた作者の感性が光る。〈きちこうが開いて〉で桔梗の開くさまが見え、次に〈青き翅脈かな〉と断定されることで、読者は、日頃異質のものであると捉えている、植物の桔梗が昆虫の、例えば蝶の翅に変容する、思いがけないイメージに出会い、意識の地平がずれるような、軽い目眩のような、心地よい違和感を経験する。作者の独自の感性によって結ばれた、もしくは、作者が「内なる自分との対話」、魂との対話により、作者の深いところから掬いあげた、詩の雫に、読者が濡れる瞬間だ。

今、その詩の雫に濡れ、筆者も含め読者にとっての、「内なる自分との対話」はすでに始まっている。どんな対話であるかは、読者それぞれに違うだろう。

その対話を通して、たとえば、花と昆虫と、種類は違っていてもその奥に息づいているいのちの存在に気づくかもしれない。

たとえば、さらに、掲句と出合い語り合っている自分自身の血脈(けつみゃく)に気づくかもしれない。花と昆虫と自分、別々に存在しているように見える、形ある個々の深部あるいは彼方に、それらがそうあることを可能にしている、形のない普遍のエネルギーがあることを、もしくは全ては大きな一つのいのちで繋がっていることを、新しさと共に懐かしさという感覚を持って予感するかもしれない。

芸術作品に出会い新しい何かに気づく、もしくは芸術作品との出会が引き起こす、自分が自分だと意識する顕在意識と、より深く広い自分である潜在意識(無意識)との対話によって、顕在意識の領域が広がり、新しい自分に出会うことは驚きであり喜びだ。それは、ありのままの自分により近づいてゆく旅でもある。

俳句を通して、この対話を、この旅を体験できることは幸せだ。

きちかうの開きて青き翅脈かな

目を瞑り、掲句を口ずさむ。すると脳裏に桔梗の蕾が現れ開いてゆく。日頃わたしたちがあたりまえと思っている、心にイメージするという、この働きの神秘を思う。呼吸をするたびに、心臓の鼓動のたびに、翅脈にいのちが通い桔梗の青があざやかになる映像を、そして今、生きているという奇跡を、味わっている。

なんと、生々しく美しい桔梗の青だろう。

***

毎週水曜日、皆さんと、ハイクノミカタでお会いできて光栄でした。一年間、愛する俳句たちとの対話にお付き合いいただきありがとうございました。また、いつかお会いする日を楽しみに。 どうぞ安全で健やかに、そして楽しく俳句生活をお過ごしくださいね。

月野ぽぽな


【執筆者プロフィール】
月野ぽぽな(つきの・ぽぽな)
1965年長野県生まれ。1992年より米国ニューヨーク市在住。2004年金子兜太主宰「海程」入会、2008年から終刊まで同人。2018年「海原」創刊同人。「豆の木」「青い地球」「ふらっと」同人。星の島句会代表。現代俳句協会会員。2010年第28回現代俳句新人賞、2017年第63回角川俳句賞受賞。
月野ぽぽなフェイスブック:http://www.facebook.com/PoponaTsukino



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