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あめつちや林檎の芯に蜜充たし 武田伸一【季語=林檎(秋)】


あめつちや林檎の芯に蜜充たし()

武田伸一


アメリカの9月6日はレイバーデー(Labor Day)だった。これは、日本語では「労働者の日」を意味し、毎年9月の第1月曜日に定められている、労働者を讃える国民の祝日だ。

アメリカの夏は、5月最後の月曜日のメモリアルデーから、9月最初の月曜日、このレイバーデーまでとされていて、人々は家族や友人と集い、バーベーキューをするなど、夏の最後の週末三連休であるレイバー・デー・ウィークエンド(Labor Day Weekend)を楽しむ。

今年も夏は行き、秋となった。秋は〈林檎〉のおいしい季節。

 あめつちや林檎の芯に蜜充たし

〈林檎〉はバラ科リンゴ属の樹木になる果実で、秋の季語。起源は約8000年前といわれ、人類が食した最古の果物とされる。明治時代に栽培が始まって以来、日本でもお馴染みの〈林檎〉。「一日一個の〈林檎〉は医者を遠ざける」という欧米のことわざからもわかるように栄養価が高く、食べやすくおいしいため世界中で愛されている。

〈あめつち〉は「天地」。大いなる自然の営み、といってもいいだろう。〈林檎の芯に蜜充たし〉からは、熟していて、黄色く透き通る甘味成分である、通称、蜜の入った美しい林檎の姿が見える。そして幾多の試練を乗り越え、手間をかけ愛情をかけて〈林檎〉を育て上げてきた人々の姿も。

大いなる自然の営みを、小さな〈林檎〉の、その〈芯に蜜〉を充たすさまに見定めた感性が冴える。〈林檎〉は実りの象徴として光り輝き、その〈林檎〉をはじめとする、地上のすべての農産物に、そしてあらゆるものに、あまねくいきわたる大いなる自然の営みを彷彿せる。

 あめつちや林檎の芯に蜜充たし

掲句の世界は、穏やかさ、豊かさそのもので、そこには大いなる自然への祈りにも似た感謝の念が満ち溢れている。

〈あめつち〉は、全世界をも、天と地の神々をも意味する。その深い愛と慈しみを湛える掲句の胸を借りて、筆をもう少し進めたいと思う。

林檎は英語で、アップル (apple)。

いつの頃からか「大きな林檎」を意味するビッグアップル(The Big Apple)をニックネームとする、筆者の住むニューヨーク市は、今年アメリカ同時多発テロ事件から20回目の9月11日を迎える。

2001年9月11日午前8時46分。筆者は、現場から4キロほど離れたところに位置する職場に向かう途中。地下鉄から出て見上げた、こよなく澄んだ青空を、今でも昨日のことのように思い出す。そして、この一日に次々と目にした光景も。

以来9月11日は祈りの日となった。

二本のビルディングからなる世界貿易センター、別名ツイン(双子)・タワーの跡地はグラウンド・ゼロと呼ばれ、ここでは毎年、遺族や友人が招かれ追悼式典が行われている。式典では、事件に関わる時刻、8時46分から10時28分にかけて6回の黙祷が捧げられると共に、救出に向かった消防士343人、日本人24人を含む、アメリカ同時多発テロ事件で亡くなられた2,977人全員と、1993年2月26日に起きた世界貿易センター爆破事件で亡くなられた方々全員の名が呼ばれ、一人一人に祈りが捧げられている。日が暮れると、ツイン・タワーをかたどった、2本の青いライト「追悼の光(Tribute in Light)」がニューヨークの夜空に伸びる。

筆者は、事件から10年後の2011年に、ナショナル・セプテンバー11メモリアル&ミュージアム(National September 11 Memorial & Museum)、日本名「国立9月11日記念館・博物館」の一部である911メモリアル・プラザ(広場)が完成し、限定で公開されてからは、現地を望むことができるワールド・ファイナンシャル・ビルディング(現在はブルックフィールド・プレイス)を、2014年のミュージアム完成により施設の全てが完成し、一般に公開されるようになってからは、追悼式典後に現地を訪れている。

メモリアル・プラザの樹々の緑の奥に二つの慰霊場。これは、崩壊した二本のビル、つまりノース・タワー(北棟)とサウス・タワー(南棟)と同じ場所に建立されたもので、それぞれノース・プール、サウス・プールと呼ばれる。その名の通り地面に嵌め込まれたプールのような構造になっていて、その四方の壁の上端から水が滝のように流れ落ちている。プールの縁に立つとその巨大な滝を見渡すことができる。大人の鳩尾(みぞおち)の辺りまでの高さがある、そのプールの縁には亡くなられた方々全ての名前が刻まれていて、その多くに色とりどりの薔薇が添えられている。

手を合わせて目を瞑る。滝の音が身心の奥底に沁み込んでくる。ふと見上げると、硝子張りのワン・ワールドトレードセンターが青空を総身に映し、まるで水晶の結晶のようだ。

この一画で俳句を作ることが倣いとなった。筆者にとっての祈りである。

今年の9月11日を前に、この場を借りて、アメリカ同時多発テロ事件でお亡くなりになった方々のご冥福と共に、日々の世界の平和を心よりお祈りする。

『出羽諸人』(角川書店、2003年)

月野ぽぽな


🍀 🍀 🍀 季語「林檎」については、「セポクリ歳時記」もご覧ください。


【執筆者プロフィール】
月野ぽぽな(つきの・ぽぽな)
1965年長野県生まれ。1992年より米国ニューヨーク市在住。2004年金子兜太主宰「海程」入会、2008年から終刊まで同人。2018年「海原」創刊同人。「豆の木」「青い地球」「ふらっと」同人。星の島句会代表。現代俳句協会会員。2010年第28回現代俳句新人賞、2017年第63回角川俳句賞受賞。
月野ぽぽなフェイスブック:http://www.facebook.com/PoponaTsukino



【月野ぽぽなのバックナンバー】
>>〔48〕ふんだんに星糞浴びて秋津島     谷口智行
>>〔47〕秋の日の音楽室に水の層        安西篤
>>〔46〕前をゆく私が野分へとむかふ     鴇田智哉
>>〔45〕品川はみな鳥のような人たち     小野裕三
>>〔44〕直立の八月またも来りけり       小島健
>>〔43〕麻やはらかきところは濡れてかたつむり 齋藤朝比古
>>〔42〕麻服の鎖骨つめたし摩天楼      岩永佐保
>>〔41〕水を飲む風鈴ふたつみつつ鳴る    今井肖子
>>〔40〕みすずかる信濃は大き蛍籠     伊藤伊那男
>>〔39〕大空に自由謳歌す大花火       浅井聖子
>>〔38〕ぼんやりと夏至を過せり脹脛     佐藤鬼房
>>〔37〕こすれあく蓋もガラスの梅雨曇    上田信治
>>〔36〕吊皮のしづかな拳梅雨に入る     村上鞆彦
>>〔35〕遠くより風来て夏の海となる     飯田龍太
>>〔34〕指入れてそろりと海の霧を巻く    野崎憲子
>>〔33〕わが影を泉へおとし掬ひけり     木本隆行
>>〔32〕ゆく船に乗る金魚鉢その金魚     島田牙城
>>〔31〕武具飾る海をへだてて離れ住み    加藤耕子
>>〔30〕追ふ蝶と追はれる蝶と入れ替はる   岡田由季
>>〔29〕水の地球すこしはなれて春の月   正木ゆう子
>>〔28〕さまざまの事おもひ出す桜かな    松尾芭蕉
>>〔27〕春泥を帰りて猫の深眠り        藤嶋務
>>〔26〕にはとりのかたちに春の日のひかり  西原天気
>>〔25〕卒業の歌コピー機を掠めたる    宮本佳世乃
>>〔24〕クローバーや後髪割る風となり     不破博
>>〔23〕すうっと蝶ふうっと吐いて解く黙禱   中村晋
>>〔22〕雛飾りつゝふと命惜しきかな     星野立子
>>〔21〕冴えかへるもののひとつに夜の鼻   加藤楸邨

>>〔20〕梅咲いて庭中に青鮫が来ている    金子兜太
>>〔19〕人垣に春節の龍起ち上がる      小路紫峡 
>>〔18〕胴ぶるひして立春の犬となる     鈴木石夫 
>>〔17〕底冷えを閉じ込めてある飴細工    仲田陽子
>>〔16〕天狼やアインシュタインの世紀果つ  有馬朗人
>>〔15〕マフラーの長きが散らす宇宙塵   佐怒賀正美
>>〔14〕米国のへそのあたりの去年今年    内村恭子
>>〔13〕極月の空青々と追ふものなし     金田咲子
>>〔12〕手袋を出て母の手となりにけり     仲寒蟬
>>〔11〕南天のはやくもつけし実のあまた   中川宋淵
>>〔10〕雪掻きをしつつハヌカを寿ぎぬ    朗善千津
>>〔9〕冬銀河旅鞄より流れ出す       坂本宮尾 
>>〔8〕火種棒まつ赤に焼けて感謝祭     陽美保子
>>〔7〕鴨翔つてみづの輪ふたつ交はりぬ  三島ゆかり
>>〔6〕とび・からす息合わせ鳴く小六月   城取信平
>>〔5〕木の中に入れば木の陰秋惜しむ     大西朋
>>〔4〕真っ白な番つがいの蝶よ秋草に    木村丹乙
>>〔3〕おなじ長さの過去と未来よ星月夜  中村加津彦
>>〔2〕一番に押す停車釦天の川     こしのゆみこ
>>〔1〕つゆくさをちりばめここにねむりなさい 冬野虹



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