秋の日の音楽室に水の層
安西篤
「梅咲いて庭中に青鮫が来ている 金子兜太」に見る「梅」と「青鮫」の出会いと同じく、作者の感性により、〈秋の日の音楽室〉と〈水の層〉という思いがけないもの同士が句中で出会い、独自の世界を創造しているところが掲句の魅力である。
作者は、「秋の日の音楽室には水の層があるようだ」と感じている。
感性の賜物である〈音楽室に水の層〉を味わうために、ここで試しに、学校にある他の専門教科の教室を、例えば理科室、美術室、家庭科室を思い浮かべてみよう。
読者の皆さんの記憶の中の、それぞれの教室を辿り、それぞれにある雰囲気、または感触、感じ、つまり質感、クオリアの違いを感じてみていただきたい。
それはとても個人的で感覚的な部分。そこは、想像・創造の入り口。自分の感覚と語り合ってみよう。
掲句の〈水〉にヒントを得て、試しに、日本に伝来した古人の知恵、西洋の四元素(火・風・水・土)、インドの五大(地・水・火・風・空)、中国の五行思想(木・火・土・金・水)に共通する、火、水、土、の三つをここで借りてみる。
理科室、美術室、家庭科室、そして音楽室には、火、水、土、のどれを強く感じるだろうか。実際にそのものがある、という意味ではなく、感じ、である。
火、水、土。いかがだろうか。どれが正解ということはない。人と比べる必要もない。自分自身で「内なる自分」のメッセージを受け止めてみてほしい。自分の内部から湧き上がってくるのが今のあなたの真実だ。
さて、筆者は、アメリカに渡る前の数年間、中学校で音楽の教師をしていた。音楽室にはピアノがあって、ピアノを弾かない日はなかった。
ピアノの音は、水を感じさせる。単音の響きの広がりには水滴が水面に作る波紋を、音の揺らめきや跳躍が、おのずと心の中の水のイメージにつながってゆく。音に浸っている感覚は水中の体感とも重なり合う。
そんな水のイメージが表現されている、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルのピアノ曲をお聴きいただきたい。
秋の日の音楽室に水の層
〈音楽室〉は、読者に楽器や歌声などその音、そして空間を、〈水の層〉が、その音が重なってゆく様子を想起させる。そしてその重なりが水のように空間を満たしてゆく。〈秋の日〉だからこそ空間の感触が澄み渡りより鮮やかになる。
作者の感性が創造した〈秋の日の音楽室〉が筆者の心を奏で、そして潤した。しばらくこのひんやりした心地よさの中に漂っていよう。
(月野ぽぽな)
***ぽぽなのおまけ***
★水のピアノ曲5選/6演奏(文中の曲も含む)
♪『雨だれ』 前奏曲第15番/フレデリック・ショパン
♪『水の戯れ』/モーリス・ラヴェル
♪『水の反映』映像第1集から/クロード・ドビュッシー
♪『雨の樹素描II』/武満 徹
【執筆者プロフィール】
月野ぽぽな(つきの・ぽぽな)
1965年長野県生まれ。1992年より米国ニューヨーク市在住。2004年金子兜太主宰「海程」入会、2008年から終刊まで同人。2018年「海原」創刊同人。「豆の木」「青い地球」「ふらっと」同人。星の島句会代表。現代俳句協会会員。2010年第28回現代俳句新人賞、2017年第63回角川俳句賞受賞。
月野ぽぽなフェイスブック:http://www.facebook.com/PoponaTsukino
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