【第63回】
摂津と桂信子
広渡敬雄(「沖」「塔の会」)
大阪府は、旧国名では、摂津、河内、和泉から成り、摂津は、難波津を管理する意味で現在の府の北西部(殊に淀川右岸)並びに兵庫県東南部を占める。現在の大阪市、高槻、箕面、池田、伊丹、三田並びに西宮、神戸市等である。
桂信子は、大阪市八軒家(天満橋)生まれ、船越町で育ち、名門大阪府立大手前高等女学校を卒業後、結婚した新居や就職した神戸経済大(官立の神戸商業大学が改称・神戸)、長年居住の地(箕面)、師日野草城の住居・日光草舎(池田)、草城句碑の服部緑地(豊中)、日本三大俳諧コレクションで、信子が俳句資料寄贈の柿衛文庫(伊丹)等々、生涯を摂津で過ごした。
旧神戸商業大学付属図書館
ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜 桂 信子
津の国の減りゆく蘆を刈りにけり 後藤夜半
山に崎ありて摂津の国霞む 山口誓子
津の国の春の霰ぞ聴きに来よ 大石悦子
曽根崎の冬橘のいろめきて 古舘曹人
大阪の川の天神祭かな 青木月斗
梅雨入りの土佐堀川の転舵渦 広渡敬雄(八軒家)
滝の上に水現れて落ちにけり 後藤夜半(箕面の滝)
くるま駆る勝尾寺までの山紅葉 高浜年尾
初空を既に翔りし一機あり 日野草城(日光草舎)
何双も五百伽藍の屏風立つ 阿波野青畝(池田五月山)
燕や酒蔵つづく灘伊丹 正岡子規
誓子館まづは迎への山法師 岩津厚子(神戸大学構内)
信子の代表句とされる〈蛍の夜〉の句は、昭和二十三年作、第一句集『月光抄』に収録。箕面・勝尾寺に句碑があり、「恋の句は多いが、俳句で遊んでいるだけで特定の人はいない」と述懐する。「映画のワンシーンのような美しさがあり、ほのかなエロチシズム。信子でなければ表現出来ない感性の品格がある」(あざ蓉子)、「句中のひとは、漠然としているが、師草城から脈々と続いて来た嫋嫋たる抒情の系譜」(宇多喜代子)、「官能的と語られるが、無意識に表現された少女の自己愛の様なもの」(仁平勝)等の鑑賞がある。
八軒家船着場跡(大阪市 建設局道路河川部道路課)
信子は、大正3(1914)年、大阪市東区八軒家(天満橋)生まれ、本名は丹羽信子。兄の蔵書を濫読し、特にチェーホフ、ツルゲーネフを愛読、大手前高女卒業後、「ミヤコホテル」他瑞々しく若々しい、西洋風で明るい絵画的な日野草城の新しい俳句に衝動を受け、昭和14(1939)年、主宰誌「旗艦」に初投句。同年桂七十七郎と結婚し、神戸市徳井町に新居を構える。同16年夫急逝し(26歳)、実家に帰るも、同20年3月終戦直前の空襲で全焼、句稿を抱いて焼け出される。
豊中市服部緑地公園の草城句碑
同人誌「まるめろ」創刊後の同24年、草城主宰の「青玄」に参加し、草城、誓子、生島遼一(フランス文学者)の序、八幡城太郎、伊丹三樹彦跋の第一句集『月光抄』を上梓する。同29(1954)年「女性俳句」を創刊し編集同人となり、第二句集『女身』上梓。草城逝去後、同45(1970)年、55歳で伊丹三樹彦の「青玄」同人を辞し、「草苑」を創刊し主宰となる。現代俳句女流賞受賞後、平成4(1991)年、第八句集『樹影』で蛇笏賞、続いて現代俳句協会大賞、毎日芸術賞受賞。同19(2004)年、享年九十歳で逝去。墓は箕面墓地公園にある。句集は他に『新緑』『緑夜』『草樹』等。「表現は平明に、内容は深く」をモットーに、俳壇に向かっても言うべきことをはっきりいう矜恃を持って、宇多喜代子、柿本多映等を育てた。柿衞文庫では、逝去後の同二十二年に桂信子賞が設立された。
柿衞文庫
「第一句集は、戦後俳人として最も早く、自立する新しい女流俳人の登場であった」(宗田安正)、「現生にあって最後まで生を享受し、この世を肯定する姿勢と共に執着を振り切った孤高の精神性を閃かせる句や死を荘厳してみせる句もあり、最晩年の作家魂、詩心が強烈である」(柿本多映)、「毅然とした生き方と共にその俳句もひたすら『われ』の心性を激しく見つめることから生れてきた」(酒井佐忠)、「他人に対して厳しく魂は売らぬ性格、晩年は純粋で率直な心の思いを詠んだ」(坂口昌弘)、「ナルシズムや『女うた』を越え、女流俳人として一括されることを拒絶した作品は、晩年になっても潤いがあり、決して衰えることがなかった」(角谷昌子)、「今や女性俳句、戦後俳句では避けては通れない桂信子の出自は、新興俳句のあの激動の時代にある」(神野沙希)、「性差・時代差を越えた誰でもない日本人の心そのものの句、この自然体の〈素の芸〉というべき世界こそが桂信子たる所以である」(大谷弘至)等の鑑賞がある。
ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ
夫逝きぬちちはは遠く知り給はず
やはらかき身を月光の中に容れ
ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき
賀状うづたかしかのひとよりは来ず
窓の雪女体にて湯をあふれしむ
手袋に五指を分ちて意を決す
鯛あまたゐる海の上 盛装して(原句通りの一字開け)
母の魂梅に遊んで夜は還る
一本のうしろ百木夏の暮
ごはんつぶよく噛んでゐて桜咲く
草の根の蛇の眠りに届きけり
たてよこに富士伸びてゐる夏野かな
忘年や身ほとりのものすべて塵
冬滝の真上日のあと月通る
寒暁や生きてゐし声身を出づる 阪神大震災
青空や花は咲くことのみ思ひ
亀鳴くを聞きたくて長生きをせり
冬麗や草に一本づつの影
人の言ふ老とは何よ大金魚
大花火何と言つてもこの世佳し
冬真昼わが影不意に生れたり
元旦や力を出さず声立てず
大阪の裕福な家庭に育ち、軽妙で人当たりの良い大阪人の特性と厳とした矜持を兼ね備え、加えて若い時から造詣の深い絵画や文学によって磨かれた美意識を以て俳句に対した。晩年は自在な境地で、女性俳人の中でも稀有の存在感があった。敬愛する兄、夫、師の出身の旧制三高、京都大学の自由で個性的、従順ならずの校風が、信子の根底にもあったのかも知れない。
桂信子句碑(勝尾寺)
(「たかんな」令和二年五月号加筆再校正)
【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。
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