馴染むとは好きになること味噌雑煮
西村和子
(『かりそめならず』)
新年を迎えると毎年起こる雑煮論争。大まかにいえば、醤油派か味噌派か。関東は、醤油のすまし汁に焼いた角餅を入れる。対して関西では、白味噌仕立ての汁に柔らかい丸餅を入れる。あくまでも一般論である。私の父母は、同じ茨城県出身だが、それぞれの実家の雑煮は、醤油のすまし汁なのに全く味が違う。海近い母方の実家の雑煮は、魚介で出汁をとり、具にも貝や魚が入っており、野菜は青菜や海藻を使う。筑波山の麓にある父方の実家の雑煮は、鶏ガラの出汁で、具には鶏肉と根菜が山盛りに入っている。どちらも美味しいが、父母の結婚当初は、雑煮の違いで喧嘩をしたと聞いている。
雑煮に限らず、食の好みの違いで恋が終わることはよくあることだ。とある新年早々、言語学の授業で教授が江戸時代に書かれた式亭三馬の『浮世風呂』の話をしていた。女湯にて上方筋の女房と江戸の女が上方言葉と江戸言葉の優劣を語る場面である。午後の授業は気だるく、受講者の大半は居眠りをしていた。すると男性教授は「要は、文化が違えば言語も違うのです。私は関西出身ですが東京の大学に進学した時、初めて恋人ができました」と話し始める。居眠りしていた学生が急に起き始め耳を傾け出す。「相手は年上の東京美人。ある時、朝ご飯を作ってあげるから泊まってと言われ、当然泊まりました。夢のような一夜が過ぎ、朝になって彼女の作った味噌汁を飲みました。それが、とても不味かったのです。結局、彼女とは別れました。心の狭い男だと、皆さんは思うかも知れませんが、言葉も通じなかったのです。怒っていないのに怒っていると言われたり、馬鹿にしてないのに馬鹿にしていると言われたり。東京の女性とは、微妙なニュアンスが伝わらなかったのです。最初は文化の違いが楽しくて交際しましたが、結婚を考えた時に無理だと思いました。文化の違い、言語の違い、そういったものを乗り越えられる恋人を探して下さい。以上」。教授が立ち去る時、大拍手が起きた。
そんな面白い授業を受けていたにも関わらず、食の好みの違いで失った恋は多い。大学4年生の時、十歳年上の社会人男性に憧れ、積極的にアプローチしたことがある。ブランド物のスーツを爽やかに着こなし、会話も面白く、大人の男性に映った。ところが、相手の男性は、健康オタクで朝の6時からジョギングをし、食べるものもヘルシー志向。焼肉屋では、レバーと牛タンしか食べない。甘い物は一切食べない。油っこくて味の濃い料理を好み、朝まで飲んでいる私とは正反対の男性であった。合わせようと努力したこともあったが、物足りなくなってしまい、連絡を絶った。私がもっと努力をすれば掴めた恋だったのかもしれないが、文化の合わない人と一緒にいる時間は苦痛でしかなかった。
馴染むとは好きになること味噌雑煮 西村和子
作者の自句自解によると「夫は京都の生まれ。白味噌の雑煮を最初は好きになれなかった。結婚して15年、美味しいと思えるようになったときの発見の句」とのこと。結婚に至るまでの経緯は存じ上げないが、縁があり夫婦となったのだろう。横浜市生まれの作者が、京都生まれの夫の文化に合わせているうちに、それが日常として馴染んでゆき、安らぎを覚えたのだと推測する。
私の友人で、大学卒業後、家の事情でお見合い結婚をした女性がいた。初夜までに逢った回数は3回。好きかどうかも分からずに結婚し、子供を産んだ。友人は東京出身だが、結婚相手は青森の出身。正月に夫の実家へ挨拶に行くのが苦痛だったという。手先が器用であった友人は、青森料理を学び毎晩食卓に出していた。子供が成長し、飲み会にも参加できるようになったある夜のこと。幹事の予約した青森料理の店に行ったら、友人は水を得た魚のように「これが旨いよ」と言って、珍しい料理を沢山注文し、最後は青森出身の店員と方言で話している。結婚直後も子育て中も夫と青森の悪口しか言わなかったのに。女性の順応能力とは恐ろしいものである。
子供が成人したら離婚すると言っていた友人であったが、義父の葬式の際に青森へ行った時、懐かしい思いがしたという。夫の実家で行われた葬式では、女達は朝から「精進落とし」の料理を作るため厨房で包丁を振るう。成人した娘が旨い味付けをして一族の女性達から、「東京者って思っていたけど、うちの長男は本当に良い嫁を貰った」と言われたらしい。東京育ちの友人は、故郷というものが無い。私が正月に実家に帰る姿を羨ましく思っていたとか。青森出身の夫を得て、友人は心の故郷を持つことができたのだ。
恋人も夫も自分にとっては、他人である。会話や食べ物を共有することにより連帯感が生まれる。昔は、女性は肌を合わせれば男性の思うがままになると信じられていたが、実際は違う。政略結婚で共寝をし、子供を生んでも、嫌いな人は嫌いである。長い結婚生活のなかで、少しでも共感できる部分があれば、離婚をせずに済むのかもしれない。そうなるには、お互いの歩み寄りが大切だと思う。
妻は、栄養バランスを考えた上で夫の好む料理を食卓に出す。夫は、自分の食の好みに合わせてくれている妻に感謝の気持ちを述べ、記念日には妻の好きなレストランを予約するべきなのである。気が付けば、妻は、夫の好きな食べ物を好きになり、夫は妻の好きな食べ物も美味しいと感じるようになる。結婚とは勢いで、その時は、相手の全てを背負う気持ちで結婚するが、受け入れられないことも多いのだ。
ある年の新年、高熱で寝込んでいる私に夫が雑煮を作ってくれた。夫の雑煮は、変なものが沢山入っており、雑然としているのだが、高熱の私には、もの凄く美味しく感じられた。それ以来、新年になると、夫に雑煮を作って欲しいと頼む。その雑然とした味は、母の作ってくれた雑煮よりも美味しい。自分とは違う部分が愛おしくなれば、愛は永遠となるのだ。
(篠崎央子)
【篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
【篠崎央子のバックナンバー】
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>>〔75〕山茶花のくれなゐひとに訪はれずに 橋本多佳子
>>〔74〕恋の句の一つとてなき葛湯かな 岩田由美
>>〔73〕待ち人の来ず赤い羽根吹かれをり 涼野海音
>>〔72〕男色や鏡の中は鱶の海 男波弘志
>>〔71〕愛かなしつめたき目玉舐めたれば 榮猿丸
>>〔70〕「ぺットでいいの」林檎が好きで泣き虫で 楠本憲吉
>>〔69〕しんじつを籠めてくれなゐ真弓の実 後藤比奈夫
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>>〔64〕もう逢わぬ距りは花野にも似て 澁谷道
>>〔63〕目のなかに芒原あり森賀まり 田中裕明
>>〔62〕葛の花むかしの恋は山河越え 鷹羽狩行
>>〔61〕呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉 長谷川かな女
>>〔60〕あかくあかくカンナが微熱誘ひけり 高柳重信
>>〔59〕滴りてふたりとは始まりの数 辻美奈子
>>〔58〕みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな 筑紫磐井
>>〔57〕告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む 恩田侑布子
>>〔56〕愛されずして沖遠く泳ぐなり 藤田湘子
>>〔55〕青大将この日男と女かな 鳴戸奈菜
>>〔54〕むかし吾を縛りし男の子凌霄花 中村苑子
>>〔53〕羅や人悲します恋をして 鈴木真砂女
>>〔52〕ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 桂信子
>>〔51〕夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子
>>〔50〕跳ぶ時の内股しろき蟇 能村登四郎
>>〔49〕天使魚の愛うらおもてそして裏 中原道夫
>>〔48〕Tシャツの干し方愛の終わらせ方 神野紗希
>>〔47〕扇子低く使ひぬ夫に女秘書 藤田直子
>>〔46〕中年の恋のだんだら日覆かな 星野石雀
>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと 長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて 小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち 檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓
>>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ 仙田洋子
>>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと 五所平之助
>>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな 大木孝子
>>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま 日野草城
>>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女
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【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】