ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ  なかはられいこ

ま、こんなことを書くのもそもそもナンセンスであって、雑誌の特集はあくまで今を生きている人間の興味を引くための企画で、「明治は遠くなりにけり」的なエポックが求められていたのであろう。その特集アンケートは、質問で「代表する〈俳句〉」とは聞いてこなかったところがミソで、それならばまさに東西冷戦の終結と情報通信技術の革新を背景としたボーダレスとその反動の時代が生み出した歴史的事件を背景として生まれ、時代をよく現し得たこの句が最もふさわしいのではないかと私は思ったのだけれど、同じ句をあげたのは他に筑紫磐井一人だけだった。当時私はアンケートに「具体的には『9・11』の映像を喚起させつつ、当の言語表現をふくめ様々なものの崩れる時代そのものをあらわしているように見える」と書いたらしいのだが、この考えは基本的には今も変わらない(事件と無関係に読む態度を否定するわけではない)。少し言葉を足せば、読点がない表現において句の中では独白する人格が、ただ崩壊するビルに美を見出しているようでありつつ(例えば古いビルが爆破で一瞬のうちに崩れていくのに見物人があつまるのは、そこに一種の美や快を見出すからだろう。たしか9.11の前はCMに使われたりもしていた。その映像経験のありようも時代であろう)、読点で分断された表現にあっては「ゆくな」と一転して崩壊を願わない心情を現し、「てきれ、いき、れ」は、そのビルから落下していくなかに巻き込まれた人間を見て(あるいは想像して)息をのんでいるようにも見え、あるいは自分自身がそこで落下していくかのように解釈もできるだろう。そして最後に表現が途切れることは、物と心が崩れてゆく過程における断末魔を示唆しているようでもある。読点の多用による荒技のようだが、変則的な掛詞だと思えば伝統的な手法に則ってもいる。

実際のところ、いいだせばあれやこれやと、ああ平成っぽいなあ、という感じのする俳句を見つけることは難しくはないのだけれど、俳句のなかで掲句のように自分にとってこれぞ平成という印象の強い一句はなかなかみあたらない。別にそんなものはなくてもちっとも困らないのだけれど。

橋本直


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。

【橋本直のバックナンバー】
>>〔49〕彎曲し火傷し爆心地のマラソン    金子兜太
>>〔48〕蜩やチパナスのあたり雲走る     井岡咀芳
>>〔47〕日まはりは鬼の顔して並びゐる    星野麦人
>>〔46〕わが畑もおそろかならず麦は穂に  篠田悌二郎
>>〔45〕片影にこぼれし塩の点々たり     大野林火
>>〔44〕もろ手入れ西瓜提灯ともしけり   大橋櫻坡子
>>〔43〕美しき緑走れり夏料理        星野立子
>>〔42〕遊女屋のあな高座敷星まつり     中村汀女
>>〔41〕のこるたなごころ白桃一つ置く   小川双々子
>>〔40〕海女ひとり潜づく山浦雲の峰     井本農一
>>〔39〕太宰忌や誰が喀啖の青みどろ    堀井春一郎
>>〔38〕草田男やよもだ志向もところてん    村上護
>>〔37〕水底を涼しき風のわたるなり     会津八一
>>〔36〕棕梠の葉に高き雨垂れ青峰忌    秋元不死男
>>〔35〕谺して山ほととぎすほしいまゝ    杉田久女
>>〔34〕夕立や野に二筋の水柱       広江八重桜
>>〔33〕雲の上に綾蝶舞い雷鳴す      石牟礼道子
>>〔32〕尺蠖の己れの宙を疑はず       飯島晴子
>>〔31〕生前の長湯の母を待つ暮春      三橋敏雄
>>〔30〕産みたての卵や一つ大新緑      橋本夢道
>>〔29〕非常口に緑の男いつも逃げ     田川飛旅子
>>〔28〕おにはにはにはにはとりがゐるはるは  大畑等
>>〔27〕鳥の巣に鳥が入つてゆくところ   波多野爽波
>>〔26〕花の影寝まじ未来が恐しき      小林一茶
>>〔25〕海松かゝるつなみのあとの木立かな  正岡子規
>>〔24〕白梅や天没地没虚空没        永田耕衣
>>〔23〕隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな  加藤楸邨
>>〔22〕幻影の春泥に投げ出されし靴     星野立子
>>〔21〕餅花のさきの折鶴ふと廻る       篠原梵

>>〔20〕ふゆの春卵をのぞくひかりかな    夏目成美
>>〔19〕オリヲンの真下春立つ雪の宿     前田普羅
>>〔18〕同じ事を二本のレール思はざる    阿部青鞋 
>>〔17〕死なさじと肩つかまるゝ氷の下    寺田京子
>>〔16〕初場所や昔しこ名に寒玉子     百合山羽公
>>〔15〕土器に浸みゆく神酒や初詣      高浜年尾
>>〔14〕大年の夜に入る多摩の流れかな   飯田龍太
>>〔13〕柊を幸多かれと飾りけり       夏目漱石
>>〔12〕杖上げて枯野の雲を縦に裂く     西東三鬼
>>〔11〕波冴ゆる流木立たん立たんとす    山口草堂
>>〔10〕はやり風邪下着上着と骨で立つ    村井和一
>>〔9〕水鳥の夕日に染まるとき鳴けり    林原耒井
>>〔8〕山茶花の弁流れ来る坂路かな     横光利一
>>〔7〕さて、どちらへ行かう風がふく     山頭火
>>〔6〕紅葉の色きはまりて風を絶つ     中川宋淵
>>〔5〕をぎはらにあした花咲きみな殺し   塚本邦雄
>>〔4〕ひっくゝりつっ立てば早案山子かな  高田蝶衣
>>〔3〕大いなる梵字のもつれ穴まどひ     竹中宏
>>〔2〕秋鰺の青流すほど水をかけ     長谷川秋子
>>〔1〕色里や十歩離れて秋の風       正岡子規


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