草木のすつと立ちたる良夜かな
草子洗
仲秋の名月は雲を気にすることなく路上に鑑賞した。月は街の灯に負けることのない明るさだ。短時間でもいいから良夜を鑑賞すべくその日は朝から高速で仕事を片付けたのだった。
今年の良夜は十四日目の月。良夜は必ずしも満月ではないのだと認識。季語でいうと「待宵」「小望月」ということになる。良夜と詠めば満月を思うし、待宵で詠んでも良いので月についてはかなり詠む切り口があったことになる。
座ってきちんとお月見をすることができればそれに越したことはないが、生活の中で旧暦八月十五日という日を認識し、その日の夜に月見をするにはなかなかの気合が必要である。家に帰る頃には雲が出てしまうかもしれないと思うと、会社近くの路上がその日の自分にとっての最適解だったのだ。
俳人は桜や月ばかり詠んでいると思われるかもしれないが、こういう格調高い句材はむしろもてあましがちである。桜が満開なのに春泥を詠みたくなってしまう。しかし、雪月花が詠めなくて俳句を続ける意味があるのか?もっと真正面から月を詠んでいかないといけないと思う。残せる句はわずかかもしれないけれど。
草木のすつと立ちたる良夜かな
月を見る時には空を仰ぐので立っていれば自然と背筋が伸びる。
背筋が伸びると気持ちも真っ直ぐになる。立つことと仰ぐことは心を整えるのに役に立つ。科学的根拠はないが、座って下ばかり見ているよりはマシなはずである。月を見ると心が乱れてしまう人もいるようなので心穏やかな時に限定しておくのが良いかもしれない。
草木は100%すっと立った状態を保つことは難しい。葉の先端はよくだらんとしているし、茎から全体的に傾斜しているものも珍しくない。その草木が名月にすっと立っている。まるで今立ち上がったかのようである。名月は生ける者をそんな心持ちにさせるのだ。
良夜という格闘しがいのある季語だが、焦点を絞ることで姿の良い句に仕上がった。表現まで「すつと」している。
集中気になったものの季節が違うために見送った句は〈十月のたまに大きなオムライス〉〈うつくしき字を連ねたし日記買ふ〉〈フルートの音にはじまる夕涼み〉〈髪洗ふ琉球の砂こぼしつつ〉など。さりげなく立ち上がる生活の一場面に共感した。
背筋を伸ばし、月を見るのは年中できることだが、この時期の月には見つめ返されるような強さがある。それをさらに見つめ返し、「一句授けて下さい!」と祈ってみたりしたが、その時の句帳を読み返す勇気がまだない。
(吉田林檎)
【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)。
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