先生はいつもはるかや虚子忌来る
深見けん二
桜の頃は慌ただしく過ぎて。というけれど、今年に関して言えば、慌ただしいころに限って桜が咲いて。あまり満足に桜に足を運ばないうちに、東京ではびっくりするほどの強い雨が降って、あっという間に散っている。本当のところ、葉桜や山桜が好きなこともあって、それはそれでいいのだけれど、何だろうこの損した感じは。
過ぎたことを悔やんでも、先のことを心配しても、人のことを気にしても、本当にいいことなんてないと思うこのごろ。過去も未来も他人も変えられはしないのだから。過去は過ぎているし、未来はまだ来てないし、他人は自分ではない。そうだそうだ、今の自分でどうにかするしかない。
先生はいつもはるかや虚子忌来る
句集『もみの木』の末尾を飾る掲句は、ちょうど一年前、2021年の虚子忌に際して作られたもの。その九月になくなった深見けん二氏にとって生前最後の、終生慕った虚子の忌日となった。句集が出たのは十月だけれど、けん二さんはあとがきを書いていて、この句を句集の最後に置くことは本人が承知のことだったと思われる。
昨年、四月八日の横浜は最高気温18.8、最低気温11.0だそうだ。冷え込むということもなく、暑くもなくというところだろうか。
虚子忌の天気は年々、全く一定しない。冷たい雨に凍える年も、今年のように花が散ってしまってかなり暖かい日も、そして満開の桜の下に迎える日も。こんなにも積極的に天気の話が交わされるというのも、あまりないことだろう。
わたしが毎年きちんと、前々から仕事の休みを調整して(時に、上司に「(会ったことはないけれど)お世話になった方の法事で」と嘘ではないことを告げたりして)寿福寺に行くようになった頃には、けん二さんがお見えになっていたこともあっただろうが、顔を知っていただいて言葉を交わせるくらいになった頃には、人の多い当日ではなくて日をずらして行ってきましたよというようなことをおっしゃっていた記憶がある。
虚子忌当日には、一門というにはあまりに多彩な人々が集い、「大学生になった?」「いえ、社会人五年目です」みたいな、「おばあちゃん元気か」「それがおととし亡くなりまして」みたいな、不思議な縮尺の時間を過ごす。
お天気の話の接ぎ穂として、「あれはあの人が転んで運ばれた年だから、たしか…」とか、「あの方の靴が履いて行かれちゃった年よね、雨降ってたわ」とかいう、事件も回顧されたりする。
だいたい虚子忌の当日というのは午前中に法要があって、お昼をはさんで締め切りの句会がある。その句会は本堂と、そこを溢れた場合は和室において、座布団敷きで行われるのだけれど、座布団は隣との隙間なく敷き詰められて句会が始まってからは移動はおろか立ち座りも困難、正座が不得意な若手にとっても、正座は得意だけれど知らないうちに立ち上がれなくなることのあるベテランにとっても過酷な環境なのだ。
話を句に戻す。
「虚子忌」は言うまでもなく高浜虚子の忌日のことで、亡くなった日のこと。でありながら、この句においてそれは、過去からやってくるのではなくて、巡ってくるものなのだ。そして、虚子忌に際して虚子を思うけん二さんの思いも過去へ向かうのではなく、あくまでも「いつも」と現在形だ。「はるか」と言いながら、「いつも」と同時点において虚子を思うことは、物理的にも近くで接し、またその時点でもその教えに近く居続けるけん二さんの率直な心のありようだろう。
隣り合う句、つまり巻末から二句目も実は虚子忌の句。
師の許へ参る日近き虚子忌かな
毎年めぐり来る虚子忌のなかでも、この年のこの四月八日を「師の許へ参る日」へ近づきつつあると描く。「はるか」と、「師の許」あるいは「近き」。真逆のことを表しているようでいて、それは「はるか」でありながら、「遠く」ではなく、「いつも」心の底に、あるいは天上にあって、けん二さんを包み込むような、そんな視線のように響く。
とにかく週末、桜のところへ行ってみよう。残花であっても、散っていても、葉桜でもそれは今の桜だ。
(阪西敦子)
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【執筆者プロフィール】
阪西敦子(さかにし・あつこ)
1977年、逗子生まれ。84年、祖母の勧めで七歳より作句、『ホトトギス』児童・生徒の部投句、2008年より同人。1995年より俳誌『円虹』所属。日本伝統俳句協会会員。2010年第21回同新人賞受賞。アンソロジー『天の川銀河発電所』『俳コレ』入集、共著に『ホトトギスの俳人101』など。松山市俳句甲子園審査員、江東区小中学校俳句大会、『100年俳句計画』内「100年投句計画」など選者。句集『金魚』を製作中。
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】