ハイクノミカタ

しんじつを籠めてくれなゐ真弓の実 後藤比奈夫【季語=真弓の実(秋)】


しんじつを籠めてくれなゐ真弓の実

後藤比奈夫
(『初心』)


 女は真実を語らない。言わねばならぬことや言いたきことを封じ込めて男に尽くす。「秘すれば花」を実践する奥ゆかしき女が昭和の理想的妻である。封建制度の名残なのだろう。女は月となり男を見守る。夫に煩わしい思いをさせないため、姑の嫌がらせも、問題を起こした子供のことも相談せず、ひたすら堪える。また、恋愛においても一歩下がって感情を露わにしてはいけない。男の野心を尊重し「逢いたい」とも言えない。恋を成就させるまでは、積極的に近付いてきた女だが恋仲となると急に大人しくなってしまう。男としては、物足らないかもしれない。

 昭和の少女漫画では、ヒロインは女友達への気遣いから好きな男の告白を断ってしまう。そうかと思うと、恋する男の親友から告白されると、二人の友情を壊してはいけないと思い付き合ったりもする。とにかく奥ゆかしいというのは、面倒くさい。最終的には、誤解が解けてハッピーエンドになるのだが、苛立ちが勝ってしまい途中で断念しかけた漫画があった。柊あおいの『星の瞳のシルエット』は、70年代から80年代生まれの女の子の恋愛バイブルと言われているが、絵の美しさに惹かれなければ完結まで読めなかったであろう。ドラマ版『東京ラブストーリー』(原作:柴門ふみ)もいま観るとストレスが溜まる。ドラマでいえば、野島伸司脚本の『この世の果て』も企業でいうところの「報告・連絡・相談(ホウレンソウ)」ができず悲劇的な結末となる。

 友人の話だが、交際した男は、仕事が忙しく二週間に一度逢えれば良いほうであった。自分の誕生日すら覚えていない。男の誕生日に手料理を作り、プレゼントを渡すと「ところで君の誕生日はいつ?」と聞かれる。

「1ヶ月前よ」
「なぜ言ってくれなかったんだよ。その日君は何をしていたんだい?」
「普通に出社して残業して帰っただけ」
「君は自分の誕生日すら告げられないほど、僕に遠慮していたのかい」
「忙しいの分かってて言えるわけないでしょ」
「僕は君の誕生日も祝えないような情けない男ということか」

 結局二人は別れることとなる。男の負担になることを恐れた女は誕生日を告げられなかった。そのことに男は負い目を感じ、彼女を幸せにできないと察する。奥ゆかしくあろうとした女の気遣いは、男の自尊心を傷つけてしまった。あまりにも若いすれ違いだが、昭和生まれの女としては、当然の言動であった。自身の誕生日も告げられないほど彼を愛していた「くれなゐ」の情熱を男は理解しなかった。

  しんじつを籠めてくれなゐ真弓の実   後藤比奈夫

 真弓の実は、四角形の殻に収まっている。和紙で作られた箱を思わせる淡いピンクの殻は、風に吹かれると賑やかな音をたてる。その淡い箱の中には、真っ赤な実が籠められている。晩秋になると裂けた殻からくれなゐの恥部を晒す。女にとって真実は、最後の最後まで秘めておくものなのである。

 女の情念は、男を疲弊させてしまう。幼い頃から母に「女である以上、言い訳はするな。口答えや口出しもしてはいけない」と教えられた。だから、理不尽な男教師の発言に弁解もせず、廊下にて1時間正座をしたこともある。後に友人が教師に真実を告げ私の正当性を述べるが教師は謝ってくれなかった。正論を吐き非難するであろう少女に負けを認めることが怖かったからだ。教師というだけで、男というだけで、間違ったことを主張し、弱者を守れない奴は、私の生涯の敵となった。だから私は今も闘っている。真実を見極められない権力者に対して、時には美しい殻で実を包み、媚びを売り、堪えることもできる。だが、寒さに震える晩秋となれば、真っ赤な情念をさらけ出し闘うこともいとわない。

 真弓の実を覆う美しい殻は、いわば女の処女膜。処女を喪失した女は、処女時代の教えに縛られながら、火よりも濃き「しんじつ」の「くれなゐ」の実を熟成し、最後には強烈な赤を発する。本心を言わない女ほど怖いものはない。

篠崎央子


『後藤比奈夫俳句集成』は2012年の刊行です ↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】

>>〔68〕背のファスナ一気に割るやちちろ鳴く 村山砂田男
>>〔67〕木犀や同棲二年目の畳       髙柳克弘
>>〔66〕手に負へぬ萩の乱れとなりしかな   安住敦
>>〔65〕九十の恋かや白き曼珠沙華    文挾夫佐恵
>>〔64〕もう逢わぬ距りは花野にも似て    澁谷道
>>〔63〕目のなかに芒原あり森賀まり    田中裕明
>>〔62〕葛の花むかしの恋は山河越え    鷹羽狩行
>>〔61〕呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉  長谷川かな女
>>〔60〕あかくあかくカンナが微熱誘ひけり 高柳重信
>>〔59〕滴りてふたりとは始まりの数    辻美奈子
>>〔58〕みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな   筑紫磐井
>>〔57〕告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む 恩田侑布子
>>〔56〕愛されずして沖遠く泳ぐなり    藤田湘子
>>〔55〕青大将この日男と女かな      鳴戸奈菜
>>〔54〕むかし吾を縛りし男の子凌霄花   中村苑子
>>〔53〕羅や人悲します恋をして     鈴木真砂女
>>〔52〕ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき  桂信子
>>〔51〕夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子
>>〔50〕跳ぶ時の内股しろき蟇      能村登四郎
>>〔49〕天使魚の愛うらおもてそして裏   中原道夫
>>〔48〕Tシャツの干し方愛の終わらせ方  神野紗希
>>〔47〕扇子低く使ひぬ夫に女秘書     藤田直子
>>〔46〕中年の恋のだんだら日覆かな    星野石雀
>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと  長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて   小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち   檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓


>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子
>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと  五所平之助
>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな     大木孝子
>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま  日野草城
>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女
>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー   古賀まり子
>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ  河野多希女
>〔31〕あひみての後を逆さのかいつぶり  柿本多映
>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空   黛まどか
>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋     西東三鬼
>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物      加藤郁乎
>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人    なつはづき
>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇    新海あぐり
>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な    遠山陽子
>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰   文挾夫佐恵

>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市  久保田万太郎
>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実   保坂敏子
>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中   鷲谷七菜子
>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの   岩永佐保
>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑      大橋敦子
>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草     深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅     森澄雄
>>〔9〕誰かまた銀河に溺るる一悲鳴   河原枇杷男
>>〔8〕杜鵑草遠流は恋の咎として     谷中隆子
>>〔7〕求婚の返事来る日をヨット馳す   池田幸利
>>〔6〕愛情のレモンをしぼる砂糖水     瀧春一
>>〔5〕新婚のすべて未知数メロン切る   品川鈴子
>>〔4〕男欲し昼の蛍の掌に匂ふ      小坂順子
>>〔3〕梅漬けてあかき妻の手夜は愛す  能村登四郎
>>〔2〕凌霄は妻恋ふ真昼のシャンデリヤ 中村草田男
>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく  鍵和田秞子


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. ひきつゞき身のそばにおく雪兎 飯島晴子【季語=雪兎(冬)】
  2. おでん屋の酒のよしあし言ひたもな 山口誓子【季語=おでん(冬)】…
  3. 父の手に負へぬ夜泣きや夏の月 吉田哲二【季語=夏の月(夏)】 
  4. 牡蠣舟やレストーランの灯をかぶり      大岡龍男【季語=牡蠣…
  5. 着ぶくれて田へ行くだけの橋見ゆる 吉田穂津【季語=着ぶくれ(冬)…
  6. 美しきものに火種と蝶の息 宇佐美魚目【季語=蝶(春)】 
  7. 漕いで漕いで郵便配達夫は蝶に 関根誠子【季語=蝶(春)】
  8. 足跡が足跡を踏む雪野かな 鈴木牛後【季語=雪野(冬)】 

おすすめ記事

  1. 【冬の季語】寒卵(寒玉子)
  2. 【銀漢亭スピンオフ企画】ホヤケン/田中泥炭【特別寄稿】
  3. 松山藩主松平定行公と東野、高浜虚子や今井つる女が訪れた茶屋について(3)
  4. しやぼんだま死後は鏡の無き世界 佐々木啄実【季語=石鹸玉(春)】
  5. ががんぼの何が幸せ不幸せ 今井肖子【季語=ががんぼ(夏)】
  6. 神保町に銀漢亭があったころ【第67回】鷲巣正徳
  7. 潜り際毬と見えたり鳰 中田剛【季語=鳰(冬)】 
  8. きりんの子かゞやく草を喰む五月 杉山久子【季語=五月(夏)】
  9. 松本実穂 第一歌集『黒い光』(角川書店、2020年)
  10. 啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々 水原秋櫻子【季語=啄木鳥(秋)】

Pickup記事

  1. 【読者参加型】コンゲツノハイクを読む【2023年2月分】
  2. 突として西洋にゆく暖炉かな 片岡奈王【季語=暖炉(冬)】
  3. イエスほど痩せてはをらず薬喰 亀田虎童子【季語=薬喰(冬)】
  4. 【連載】新しい短歌をさがして【4】服部崇
  5. 春の雁うすうす果てし旅の恋 小林康治【季語=春の雁(春)】
  6. 【冬の季語】水鳥
  7. 原爆忌誰もあやまつてはくれず 仙田洋子【季語=原爆忌(秋)】
  8. 神保町に銀漢亭があったころ【第97回】岸田祐子
  9. 遊女屋のあな高座敷星まつり 中村汀女【季語=星まつり(秋)】
  10. 雁かへる方や白鷺城かたむく 萩原麦草【季語=雁帰る(春)】
PAGE TOP