ハイクノミカタ

霧晴れてときどき雲を見る読書 田島健一【季語=霧(秋)】


霧晴れてときどき雲を見る読書()

田島健一


ニューヨークの残暑もだいぶ落ちついて、散歩が楽しい季節となった。

アパートメントから10分程西へ行くとハドソン川に出る。これは探検家、ヘンリー・ハドソンに因んで名付けられた川で、南北に細長いマンハッタン島の西側を流れている。岸に寄せる波の音が心地よい。この辺りからは北に遠くジョージワシントン橋、対岸にはニュージャージー州が見える。川沿いはリバーサイドパーク・サウスという公園になっていて筆者のお気に入りの散歩スポットだ。あたりには川風に揺れる芒、大蓼、小判草。虫の音も聞こえてくる。

この辺りには、1853年から1968年にかけて、かつてアメリカの経済発展に大きく関わる貨物運搬を担っていたニューヨーク・セントラル鉄道の名残がある。それは巨大な船渠の廃墟。記念碑として保存され、全身錆びついたままの姿で聳え立っている。川岸沿いの水面にも広い範囲にわたって桟橋の朽ちた支柱が残っていて、一つ一つにカモメが止まる。ときおり猛禽も。人にも動物にも欠かせないオアシスだ。

高く聳える船渠を見ることは、空を見ることでもある。栄華と衰退の時を凝縮したこの廃墟は、秋の空に身を包み、独特の風情を醸し出す。

さて、掲句である。

 霧晴れてときどき雲を見る読書

掲句は、「秋の空」と言わずに、移ろいやすく、それゆえに豊かな「秋の空」の表情を存分に見せてくれる。

〈霧〉は秋の季語。水蒸気が地表や水面の近くで凝結して微小な水滴なり、煙のように漂って視界を悪くする現象だ。〈霧〉の種類である蒸発霧(じょうはつぎり)移流霧(いりゅうぎり)滑昇霧(かつしょうぎり)放射霧(ほうしゃぎり)のうち、掲句の〈霧〉は、おそらく夜間の放射冷却によって発生し、日の出後は太陽の光で暖められ消える放射霧(ほうしゃぎり)だろう。

まず、〈霧晴れて〉からは、その〈霧〉とそれが晴れて青空が見える。そして、省略の効いた〈ときどき雲を見る読書〉の〈読書〉からは、句中の動作の(ぬし)が、〈読書〉をしている様子ととともに、〈読書〉という時間の長さが想起されるため、句中の動作の(ぬし)が〈ときどき雲を見る〉たびに変わる、雲の様子、つまりを秋の空の移ろい、例えば、うろこ雲、いわし雲、さば雲、と呼ばれる巻積雲(けんせきうん)、ひつじ雲、と呼ばれる高積雲(こうせきうん)、を読者は想像することができる。夕暮れになれば秋の夕焼け雲も見えるだろう。

もちろん、〈読書〉の内容、つまりどんな本を読んでいるのかを、想像する楽しさもある。

〈読書〉と「秋の空模様」という、ゆったりとした時間が流れている掲句を、何回も読みかえすうちに、読者は、それぞれの記憶の中の自分が、もしくは想像する未来の自分が、句中の動作の(ぬし)となって、この至福の時間の中にいることに気づくのだ。

そう、ハドソン河にも朝霧が出ることがあり、〈霧〉の世界にぼんやり浮かび上がる廃墟は、とても幻想的。さまざまな雲たちが廃墟の疲れを優しく包むさまもいい。また青空の廃墟はそのコントラストが美しい。もちろん夕焼けも。

さあ、今日はどの一冊を手に出かけようか。

『ただならぬぽ』(角川書店、2017年)

月野ぽぽな


【執筆者プロフィール】
月野ぽぽな(つきの・ぽぽな)
1965年長野県生まれ。1992年より米国ニューヨーク市在住。2004年金子兜太主宰「海程」入会、2008年から終刊まで同人。2018年「海原」創刊同人。「豆の木」「青い地球」「ふらっと」同人。星の島句会代表。現代俳句協会会員。2010年第28回現代俳句新人賞、2017年第63回角川俳句賞受賞。
月野ぽぽなフェイスブック:http://www.facebook.com/PoponaTsukino



【月野ぽぽなのバックナンバー】
>〔50〕河よりもときどき深く月浴びる   森央ミモザ
>〔49〕あめつちや林檎の芯に蜜充たし    武田伸一
>>〔48〕ふんだんに星糞浴びて秋津島     谷口智行
>>〔47〕秋の日の音楽室に水の層        安西篤
>>〔46〕前をゆく私が野分へとむかふ     鴇田智哉
>>〔45〕品川はみな鳥のような人たち     小野裕三
>>〔44〕直立の八月またも来りけり       小島健
>>〔43〕麻やはらかきところは濡れてかたつむり 齋藤朝比古
>>〔42〕麻服の鎖骨つめたし摩天楼      岩永佐保
>>〔41〕水を飲む風鈴ふたつみつつ鳴る    今井肖子
>>〔40〕みすずかる信濃は大き蛍籠     伊藤伊那男
>>〔39〕大空に自由謳歌す大花火       浅井聖子
>>〔38〕ぼんやりと夏至を過せり脹脛     佐藤鬼房
>>〔37〕こすれあく蓋もガラスの梅雨曇    上田信治
>>〔36〕吊皮のしづかな拳梅雨に入る     村上鞆彦
>>〔35〕遠くより風来て夏の海となる     飯田龍太
>>〔34〕指入れてそろりと海の霧を巻く    野崎憲子
>>〔33〕わが影を泉へおとし掬ひけり     木本隆行
>>〔32〕ゆく船に乗る金魚鉢その金魚     島田牙城
>>〔31〕武具飾る海をへだてて離れ住み    加藤耕子
>>〔30〕追ふ蝶と追はれる蝶と入れ替はる   岡田由季
>>〔29〕水の地球すこしはなれて春の月   正木ゆう子
>>〔28〕さまざまの事おもひ出す桜かな    松尾芭蕉
>>〔27〕春泥を帰りて猫の深眠り        藤嶋務
>>〔26〕にはとりのかたちに春の日のひかり  西原天気
>>〔25〕卒業の歌コピー機を掠めたる    宮本佳世乃
>>〔24〕クローバーや後髪割る風となり     不破博
>>〔23〕すうっと蝶ふうっと吐いて解く黙禱   中村晋
>>〔22〕雛飾りつゝふと命惜しきかな     星野立子
>>〔21〕冴えかへるもののひとつに夜の鼻   加藤楸邨

>>〔20〕梅咲いて庭中に青鮫が来ている    金子兜太
>>〔19〕人垣に春節の龍起ち上がる      小路紫峡 
>>〔18〕胴ぶるひして立春の犬となる     鈴木石夫 
>>〔17〕底冷えを閉じ込めてある飴細工    仲田陽子
>>〔16〕天狼やアインシュタインの世紀果つ  有馬朗人
>>〔15〕マフラーの長きが散らす宇宙塵   佐怒賀正美
>>〔14〕米国のへそのあたりの去年今年    内村恭子
>>〔13〕極月の空青々と追ふものなし     金田咲子
>>〔12〕手袋を出て母の手となりにけり     仲寒蟬
>>〔11〕南天のはやくもつけし実のあまた   中川宋淵
>>〔10〕雪掻きをしつつハヌカを寿ぎぬ    朗善千津
>>〔9〕冬銀河旅鞄より流れ出す       坂本宮尾 
>>〔8〕火種棒まつ赤に焼けて感謝祭     陽美保子
>>〔7〕鴨翔つてみづの輪ふたつ交はりぬ  三島ゆかり
>>〔6〕とび・からす息合わせ鳴く小六月   城取信平
>>〔5〕木の中に入れば木の陰秋惜しむ     大西朋
>>〔4〕真っ白な番つがいの蝶よ秋草に    木村丹乙
>>〔3〕おなじ長さの過去と未来よ星月夜  中村加津彦
>>〔2〕一番に押す停車釦天の川     こしのゆみこ
>>〔1〕つゆくさをちりばめここにねむりなさい 冬野虹



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