葉桜の夜へ手を出すための窓
加倉井秋を
何をしていたのだろう。気が付いたらゴールデンウイークが終わっていた。今更そんなことを思ってもどうしようもない。皆さんはどんな連休をお過ごしだっただろうか。私は、いたずらに積ん読を野放しにもしておけず、本棚の前でそれらを眺めて過ごしていたのだと思う。窓を開けると、不意に近所の子達の楽しげな草笛が聞こえてきて、それに耳を傾けていたら次第に眠くなってきた。私にとってはごーろ寝ん(?)ウイークだったのかもしれない。
葉桜はもうすっかり青々とした茂りを見せている。5月の夜気はひんやりとして心地よいものだ。気分転換に散歩でもしようと思っても、あまりに夜が更けてしまうとそれもなんとなく憚られる。この句の情景は、何気なく開けた窓から、執筆等で疲れた手を緑夜にさらして開放したというごくありふれた身辺詠であろう。
句の構造を見ると「葉桜の夜へ手を出すための」までがすべて修飾として「窓」にかかる形となっている。「葉桜の」と「窓」との修飾関係のみを取り上げると、茂りの葉の間の無数の空間も、葉桜の夜空に開かれた内と外との境界をなす窓と捉えることができるのではないだろうか。少し本質とずれてしまうかもしれないが、葉桜自体にも無数の窓を内包しているという重層的イメージである。もし「夜の葉桜へ」という語順だったら、そのような錯覚というか想像も生まなかっただろうし、描かれる世界も矮小になってしまう。
では、実際この句の窓はどんなものなのだろう。形態は引き戸だろうか、西洋風の出窓だろうか。取り付ける位置によっては掃き出し窓や腰高窓、高窓に天窓と形も大きさも実にいろいろある。窓は一年中あるのだから、まさか「葉桜の夜へ手を出すため」専用の窓ではあるまい。そこは詩に昇華された言葉である。けれど、秋をが建築家であったことを鑑みると、ひょっとするとそんな設計、設えもありうるかもしれないなと思う。 読者それぞれが自由にイメージを膨らませて理想の窓を思い描くのも楽しい。そんな解釈の余地を残しているような表現のありようである。
(句集『風祝』より)
(沼尾將之)
【執筆者プロフィール】
沼尾將之(ぬまお・まさゆき)
1980年埼玉県生。「橘」同人。俳人協会幹事。俳人協会埼玉県支部世話人。 句集『鮫色』(ふらんす堂、2018年)(第43回俳人協会新人賞受賞)
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
【2022年5月の火曜日☆沼尾將之のバックナンバー】
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>>〔2〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア 豊口陽子
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>>〔2〕菜の花やはつとあかるき町はつれ 正岡子規
>>〔3〕春や昔十五万石の城下哉 正岡子規
>>〔4〕蛤の吐いたやうなる港かな 正岡子規
>>〔5〕おとつさんこんなに花がちつてるよ 正岡子規
【2022年3月の水曜日☆藤本智子のバックナンバー】
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>>〔4〕春星や言葉の棘はぬけがたし 野見山朱鳥
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