【第67回】
伊賀上野と橋本鶏二
広渡敬雄(「沖」「塔の会」)
伊賀は、三重県の北西部地域の旧国名で、国府・国分寺は標高百三十㍍の伊賀盆地の伊賀市(旧上野市)にあった。
上野市駅の芭蕉像(伊賀上野観光協会)
本能寺の変後の家康の「神君伊賀越え」を手助けした功績から徳川幕府に重用された伊賀衆の里でもあり、畿内(京都・奈良)と東海を結ぶ交通の要地でもあった。江戸時代初期藤堂高虎の領地となり、名城上野城には城代が置かれた。
松尾芭蕉の生地で、上野市駅前の旅姿の芭蕉像の他、俳聖殿、芭蕉翁生家、故郷塚(遺髪塚)、門弟服部土芳の住居「蓑虫庵」等芭蕉ゆかりの遺跡があり、荒木又右衛門等の日本三大仇討ち「鍵屋の辻」も名高い。
蓑虫庵(伊賀上野観光協会)
鳥のうちの鷹に生れし汝かな 橋本鶏二
初しぐれ猿も小みのをほしげ也 (長野峠)松尾芭蕉
伊賀上野蘇枋の花を以て古ぶ 山口誓子
田を植ゑてはせをの天を同じうす 古舘曹人
鼻さきに伊賀の濃闇よ流れ星 大野林火
芭蕉生家寒き厨を通り抜け 品川鈴子
底冷えのこの朝夕を栖まれしか 長谷川素逝
土芳忌や伊賀の底冷えかこちつゝ 鈴鹿野風呂
垣間見の蓑虫庵や秋の暮 佐藤鬼房
冬草やひとりさまよふ俳聖殿 池上樵人
鳶の輪の高まり霞む城の空 高橋悦男
仕立屋に燕出入りの城下町 宮田正和
仇討ちのことの次第を草の餅 井上弘美
若菜野の暁に放ちぬ稽古鷹 橋本石火
〈鷹に生れし〉の句は、昭和十九(一九四四)年秋、三十七歳の作で、「ホトトギス」昭和二十年三月号で二度目の巻頭句。この後、「鷹の鶏二」と称された一連の鷹の句〈双翼ひろげて鷹の立ち双ぶ〉〈巌襖しづかに鷹のよぎりつつ〉〈鷹の巣や太虚に澄める日一つ〉〈鷹渡るもとにひろごる山河かな〉〈鷹匠の指さしこみし鷹の胸〉〈鷹匠の虚空に据ゑし拳かな〉等がある。
伊賀上野城(伊賀上野観光協会)
掲句の自註に「伊賀の高原の枯萱の中に仰いだ鷹の輪は、青い空に彫りついたようで、忘れない故郷の感銘の映像だった。但し、大阪爆撃後に伊賀上空を低く飛ぶB29を見た後の高原の鷹でもあった」とある。
「この句も含め一連の鷹の句には、『戦争地震等緊張した歴史的背景』が窺える」(中村雅樹)、「鷹を借りて自身を打ち出した句で客観的な句ではない。鶏二精神の全てを感じる」(野見山朱鳥)、「ホトトギスの客観写生からは逸脱しているような戸惑いも感じる」(富安風生)、「生き物としての鷹を絶賛した句。鷹には雅さはないが、獲物を鷲掴みする脚力と鋭い爪には武将の雰囲気がある。鷹には人を虜にする魔性があり、鶏二もその虜になった」(新南風俳句会)等の鑑賞がある。
芭蕉翁生家(伊賀上野観光協会)
橋本鶏二は明治四十(一九〇七)年、三重県阿山郡小田(現伊賀市)に生まれ、本名秀雄。実家の「橋源」(造り酒屋or一膳飯屋)が倒産、父母を相次ぎ亡くした十六歳頃から俳句にのめり込み、「芥子」の俳号で二十歳前に「ホトトギス」に投句を始め、その後鶏二と改号し、昭和十八(一九四三)年六月号で初巻頭、同門の俊英長谷川素逝に兄事し親交を深める。
俳聖殿(伊賀上野観光協会)
前述の「鷹」の句で同人となり、同二十一年、素逝主宰、鶏二編集人で「桐の葉」を復刊、素逝死後「桐の花」と改称し主宰となる。同二十三年に、虚子の序「鶏二は作家である」で有名な第一句集『年輪』を上梓、その後結社名の変更、他誌との合併を経て、同三十二(一九五七)年四十九歳で「年輪」を創刊主宰した。虚子への信奉は「私など虚子先生によって鍛たれた一丁の鍬」と自認し、信仰に近い傾倒ぶりであった。
「ホトトギス」の現状を打破したいと野見山朱鳥「菜殻火」、波多野爽波「青」、福田蓼汀「山火」と「四誌連合会」を結成し、伝統俳句に新風を齎したのも、朱鳥との固い友情が基盤にある。同三十五年胃潰瘍で危篤となるも辛くも一命を取り止め、健康を取り戻した。現代俳句協会分裂時には、俳人協会に移った。爽波との軋轢で同四十(一九六五)年に「四誌連合会」を解散した後も、意欲的に句集を上梓し、昭和五十六(一九八一)年、第九句集『鷹の胸』で第二十一回俳人協会賞を受賞した。
伊賀越資料館(鍵屋の辻の決闘 伊賀上野観光協会)
門弟には、八田木枯、宇佐美魚目、馬場駿吉、早崎明等がいる。明に主宰委嘱後、平成二(一九九〇)年逝去。享年八十二歳。墓は伊賀市開花寺にある。句集は他に『松囃子』『山旅波旅』『朱』『花袱紗』『鳥襷』『汝鷹』『二つを一つの如く』『聖顔』『俯伏』『欅』『消息』。評論集には、『俳句実作者の言葉』『随筆歳時記』がある。
伊賀流忍者博物館(伊賀上野観光協会)
「虚子の写生説を徹底して信奉する一方で、言葉そのものの美を求道者のように追求し、独自の作風を築いた」(大岡信)、「鶏二にとって虚子という人の存在は、まさに俳句の存在であった。また客観写生の底流には主観的、情熱的な昂ぶりがある」(中村雅樹)、「鶏二は、切れる作家である。つまり、具象を輪郭の明確な象徴へと理念化してゆくその鮮やかさ、技巧の切れ味である」(野見山朱鳥)、「素逝は作家であり、鶏二は職人としての巧さの作者である」(八田木枯)、「鶏二作品は技法の極致に行き詰まり、象徴の方向を求めているが、その象徴の行きかたは、一つの肚芸であり、芝居気である」(西本一都)、「鶏二は徹底した写生句を作るが、単なる写生にとどまらず、感動の深淵をデフォルメ的に飛躍して表現することがよくある」(橋本石火)等の鑑賞がある。
雁来ればすぐ初霜や伊賀盆地
めはじきや伊賀の女の子の細瞼
火となりし蔓を外して榾燃ゆる
くろがねの蔓わたりをり露の中
火を埋むこころ埋むるごとくせり
手に重し大塊りの石炭は(筑豊・直方市)
千切れたる焔流るる夜振かな
磯歎きあのもこのもとなりにけり
秋燕の羽をたたみてながれをり
湯手拭銀河に掛けて泊りけり(平湯温泉)
ふなばたに前足を掛け狩の犬
春の水四ツ手のうへをながれけり
春の闇大王岬をつつみけり
たふれたる麦の車の輪が廻る
秋風や一草もなき噴火口 (阿蘇)
火を噴きしあと静かなり山の秋(阿蘇大観峰)
どんたくははやしながらにあるくなり(博多)
眦に金ひとすぢや春の鵙
春雪に火をこぼしつつはこびくる
顔せにあてて吹くなり獅子の笛
春を待つこころにしめし障子かな
濡れてゐて椿の雨をいま憶ふ
菜殻火に月も曇りぬ都府楼趾
とどまればさらにきよらか狩の犬
鶴のこゑ空のまほらにひびくなり
俳諧の防人として草を焼く(四誌連合会)
夜神楽は畳に酒を打ちて舞ふ (石見神楽)
白桃を二つ一つの如く置く
いま落ちし氷柱が海に透けてをり
この冬木虚子この冬木素逝かな
露一つより始まりて五十鈴川
伊賀の風土を精神的な土壌とし「雪月花彫りてぞ詠ふ」の創作的理念で独自の作風を築いた。客観的写生を超えた主観が先行した感もあり、晩年はやや硬質な言葉が多い句風となり、師虚子の晩年の自在な句風と対照をなすのも興味深い。
(「青垣」46号 加筆再構成)
【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。
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