枯蓮のうごく時きてみなうごく
西東三鬼
次は三鬼による枯蓮の句の自解である。
戦争の後の空腹は肉体ばかりではなく、心も飢えていました。この頃、東京から神戸まで訪ねてくれた秋元不死男と、奈良の薬師寺や唐招提寺をおとずれて、二千年前の日本の美を見ることで、渇いた心にうるおいを与えたのですが、この句は薬師寺の池で出来たものです。あの池は道の左右にある小さな池ですが、折から晩秋で、蓮がことごとく枯れ果て、枯れたまま池の中に無数につっ立っていました。枯れて破れた蓮の葉は修道尼のかぶりもののように見え、枯蓮の一本々々はうつむいて悲歎に堪えている人間に見えて来るのでした。数百万の人間を死なせた戦争の直ぐあとですから、私にそう見えたのも当然でしょう。その枯蓮はじっと立ったまま、微動だにしなかったのですが、木立を通ったかすかな秋風に触れると、一斉にフラフラとかぶりものが揺れうごいたのです。「うごく時が来たのだ」と私は思いました。悲しみの祈りに凍結していたものが、祈りを解いてうごき出したように見えました。この句は、私の戦前の作風を全く転換させる機縁になりました。 一句のために、一時間も池の端に立って凝視したのは、私にとって初めての事でした。
ーー『西東三鬼全句集』(角川ソフィア文庫・2017)
最後の吟行の様子などは「薄氷の吹かれて端の重なれる」と詠んだ深見けん二の姿勢、嘱目に拘るような写生派の俳人の姿させ思わせるところがあって興味深いが、私がとりわけ面白く思ったのは枯蓮に対する認識が戦争の影を帯び、しかし、句にはそういう匂いらしいもののみが残った点である。「うごく時」という措辞を自解を踏まえて読むならば、終末論的な把握のように思える。この句同様、次の句も自解を踏まえて読むと匂いらしいもののみが残った句と言えよう。
暗く暑く大群集と花火待つ 変身
今か今かと花火を待つ群集は、巨大な生きものとなって、声を発するものもありません。 人々の期待が大きな塊となってふくれ上っています。やがて中空に大音響と共に破裂する五色の火を、群集は待っているのです。 戦火にあい空襲にあい、音と光にはこんりんざいこりごりの筈なのに、押しひしがれた群集は、ひたすらに花火の華麗が見たいのです 。その期待に暗く暑くふくれあがっているのです。それが私には現代社会の象徴のように思われ、それでこの句が出来たのです。
ーー『西東三鬼全句集』(角川ソフィア文庫・2017)
いずれの句も戦争の影響を挙げており、またいずれもなにか暗澹たる全体を書きあらわしている。ただ、その全体はのっぺりとぼやけた総体としての全体というよりも、ぞわぞわと不吉に密集する個々、その蠢く密集の感覚を手放さない全体の書き方で、この点はかなり注目すべき点ではないかと思う。また、これらは何か来るべき時を待っている。全体が来るべき時に向かっているという、この認識が近代的だとも言える。
(安里琉太)
【鬼才・三鬼!】
【安里琉太さんの第一句集『式日』は絶賛発売中↓】
【執筆者プロフィール】
安里琉太(あさと・りゅうた)
1994年沖縄県生まれ。「銀化」「群青」「滸」同人。句集に『式日』(左右社・2020年)。 同書により、第44回俳人協会新人賞。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
【安里琉太のバックナンバー】
>>〔60〕あたゝかき十一月もすみにけり 中村草田男
>>〔59〕デパートの旗ひらひらと火事の雲 横山白虹
>>〔58〕個室のやうな明るさの冬来る 廣瀬直人
>>〔57〕ほこりつぽい叙情とか灯を積む彼方の街 金子兜太
>>〔56〕一瞬で耳かきを吸う掃除機を見てしまってからの長い夜 公木正
>>〔55〕底紅や黙つてあがる母の家 千葉皓史
>>〔54〕仲秋の金蠅にしてパッと散る 波多野爽波
>>〔53〕つきの光に花梨が青く垂れてゐる。ずるいなあ先に時が満ちてて 岡井隆
>>〔52〕ひるすぎの小屋を壊せばみなすすき 安井浩司
>>〔51〕ある年の子規忌の雨に虚子が立つ 岸本尚毅
>>〔50〕ときじくのいかづち鳴つて冷やかに 岸本尚毅
>>〔49〕季すぎし西瓜を音もなく食へり 能村登四郎
>>〔48〕みづうみに鰲を釣るゆめ秋昼寝 森澄雄
>>〔47〕八月は常なる月ぞ耐へしのべ 八田木枯
>>〔46〕まはし見る岐阜提灯の山と川 岸本尚毅
>>〔45〕八月の灼ける巌を見上ぐれば絶倫といふ明るき寂寥 前登志夫
>>〔44〕夏山に勅封の大扉あり 宇佐美魚目
>>〔43〕からたちの花のほそみち金魚売 後藤夜半
>>〔42〕雲の中瀧かゞやきて音もなし 山口青邨
>>〔41〕又の名のゆうれい草と遊びけり 後藤夜半
>>〔40〕くらき瀧茅の輪の奥に落ちにけり 田中裕明
>>〔39〕水遊とはだんだんに濡れること 後藤比奈夫
>>〔38〕ぐじやぐじやのおじやなんどを朝餉とし何で残生が美しからう 齋藤史
>>〔37〕無方無時無距離砂漠の夜が明けて 津田清子
>>〔36〕麦よ死は黄一色と思いこむ 宇多喜代子
>>〔35〕馬の背中は喪失的にうつくしい作文だった。 石松佳
>>〔34〕黒き魚ひそみをりとふこの井戸のつめたき水を夏は汲むかも 高野公彦
>>〔33〕露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 攝津幸彦
>>〔32〕プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ 石田波郷
>>〔31〕いけにえにフリルがあって恥ずかしい 暮田真名
>>〔30〕切腹をしたことがない腹を撫で 土橋螢
>>〔29〕蟲鳥のくるしき春を不爲 高橋睦郎
>>〔28〕春山もこめて温泉の国造り 高濱虚子
>>〔27〕毛皮はぐ日中桜満開に 佐藤鬼房
>>〔26〕あえかなる薔薇撰りをれば春の雷 石田波郷
>>〔25〕鉛筆一本田川に流れ春休み 森澄雄
>>〔24〕ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ 井伏鱒
>>〔23〕厨房に貝があるくよ雛祭 秋元不死男
>>〔22〕橘や蒼きうるふの二月尽 三橋敏雄
>>〔21〕詩に瘦せて二月渚をゆくはわたし 三橋鷹女
>>〔20〕やがてわが真中を通る雪解川 正木ゆう子
>>〔19〕春を待つこころに鳥がゐて動く 八田木枯
>>〔18〕あっ、ビデオになってた、って君の声の短い動画だ、海の 千種創一
>>〔17〕しんしんと寒さがたのし歩みゆく 星野立子
>>〔16〕かなしきかな性病院の煙出 鈴木六林男
>>〔15〕こういうひとも長渕剛を聴くのかと勉強になるすごい音漏れ 斉藤斎藤
>>〔14〕初夢にドームがありぬあとは忘れ 加倉井秋を
>>〔13〕氷上の暮色ひしめく風の中 廣瀬直人
>>〔12〕旗のごとなびく冬日をふと見たり 高浜虚子
>>〔11〕休みの日晝まで霜を見てゐたり 永田耕衣
>>〔10〕目薬の看板の目はどちらの目 古今亭志ん生
>>〔9〕こぼれたるミルクをしんとぬぐふとき天上天下花野なるべし 水原紫苑
>>〔8〕短日のかかるところにふとをりて 清崎敏郎
>>〔7〕GAFA世界わがバ美肉のウマ逃げよ 関悦史
>>〔6〕生きるの大好き冬のはじめが春に似て 池田澄子
>>〔5〕青年鹿を愛せり嵐の斜面にて 金子兜太
>>〔4〕ここまでは来たよとモアイ置いていく 大川博幸
>>〔3〕昼ごろより時の感じ既に無くなりて樹立のなかに歩みをとどむ 佐藤佐太郎
>>〔2〕魚卵たべ九月些か悔いありぬ 八田木枯
>>〔1〕松風や俎に置く落霜紅 森澄雄
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】