待ち人の来ず赤い羽根吹かれをり
涼野海音
(『一番線』)
赤い羽根は、10月1日より1ヶ月間に渡る社会福祉事業資金募集の運動で、駅などで募金をし、寄付した人に与えられる。俳句では秋の季語なのだが、ずっと冬の季語だと思い込んでいた。それは、高校時代のすれ違いの恋の記憶のせいである。
高校2年生になって始めて彼氏というものを得た。滑り止めで合格した共学の私立高校は、森英恵デザインの制服で、茨城県ではちょっとお洒落な学校。入学後半年して彼氏が出来なければブスと言われてしまうような恋愛学園でもあった。学歴至上主義の母に反抗し、生まれながらの黒髪を茶色に染めて明るい表情を出した。植木屋のアルバイトをして溜めたお金で、癖毛の髪に縮毛矯正を施した。勉学は二の次。とにかく彼氏が欲しかった。
同級生より少し遅れた恋の出発は、入学して2年目の夏。演劇部の先輩が紹介してくれた2歳年上の男性。すでに卒業しており自動車会社の営業の仕事をしていた。積極的にアプローチして秋の頃に交際することとなった。自慢のマークⅡに乗って高校まで迎えにきてくれた。週末の映画館で、同時上映の映画を2本観て、帰宅が深夜になり両親を心配させたこともある。高架下のトンネルでふいに手を握られてドキリとしたような淡い恋だった。でも私があまりにも幼かったのか、些細なことから距離を置かれてしまう。
自身の我が儘やプライドを捨ててもう一度逢いたいと告げて、デートの約束を取り交わした。晩秋の駅の南口は、街路樹が真っ赤に染まり、冷たい風が吹いていた。手を温めながら彼を待った。2時間待っても彼は来ない。赤い羽根募金の人達が声を張り上げる。手持ちぶさたに募金をして、新しく買った白いコートの襟に真紅の羽根を刺して貰った。携帯電話のない時代である。夕暮れまで待って帰った。後日、彼から電話があった。親戚に不幸があって来られなかったと。仕切り直しということで、11月半ばに逢った。ファミリーレストランで食事をご馳走してくれたのがひたすら嬉しかった。帰り際、彼が「今度はいつ逢える?」と聞く。「クリスマスイブの夜は必須」と答えた。いま考えれば、「来週!!」とか言えば良かったのかな。仕事が忙しい彼に気を遣って告げた再会の約束。時間が空きすぎたのか、12月には連絡が取れなくなり、私は傷ついた。
1年後に「ひどい病気を患い会社を解雇され、再就職した会社では夜勤が続いてしまい、連絡ができなかった。ごめん」との電話があった。その時の私は、新しい恋に夢中であったため再会の約束はしなかった。不器用過ぎた青春時代の恋に後悔はないのだけれども、真っ赤に染まった街路樹を見るたびに、赤い羽根を思い出す。私が高校生であった当時の茨城県では、赤い羽根運動は11月末頃まで展開されていたのだ。
待ち人の来ず赤い羽根吹かれをり 涼野海音
作者は香川県高松市在住の若手俳人。〈蚕豆や遠距離恋愛三年目 涼野海音〉〈海の日の一番線に待ちゐたる 涼野海音〉〈会ひしことなき人待てる桜かな 涼野海音〉など、爽やかな恋の句を詠む。待っている描写が多いのは、瀬戸内海に面した港町に住んでいるためであろう。
作者は、コロナ禍になる遥か以前より超結社のネット句会に参加し、現在は、超結社通信句会を主催している。ネットワークを駆使して全国の俳人と交流を持とうとする姿勢には、眩しいものを感じる。数々の賞を受賞しているのもまた、俳句への情熱が誰よりも強いからである。
〈待ち人〉は誰であったのだろう。もしかしたら、俳人かもしれない。ネット句会などを通して知り合った人とメールを交わし、逢う約束をしたのだろう。待ち合わせ場所は、地元の高松市なのか、関東なのか、あるいは近畿かもしれない。待ち人が来ない理由は、電車や飛行機の都合なのか、待ち合わせ場所が間違っているのか。それとも…。
ふと、幼い頃に見たドラマを思い出した。若き男女が短歌雑誌を通じて住所を交換し数年間文通をしていた。日頃の出来事や自身の詠んだ歌などを綴った手紙のやり取りをしているうちに惹かれ合うようになる。男性は、東京の大学生で安いアパートに住んでいるのだが、手紙では金持ちを装っていた。女性もまた、東北の実家で農業の手伝いをしているのだが、医者の娘と偽っていた。あるとき女性は、男性に逢いに行く旨を伝える。男性は大慌てで、友人から服やお金を借りて待ち合わせの場所に立つ。女性もなけなしの小遣いをはたいて美容院に行き、流行のワンピースを着込むのだが。いざとなると恥ずかしくて待ち合わせ場所に行けない。結局、二人の恋は逢わずに終わる。この昭和時代の奥ゆかしさは、現在では理解しがたい。だが、逢えないからこそ美しい想い出となることもあるのだ。
赤い羽根は、逢ったこともない人々への募金。だけれども、募金箱にお金を入れる時は、とても優しい感情に包まれる。募金活動をしている少年少女もまた健気な風情である。真っ赤に染められた羽根は、柔らかな光沢を持ち、逢うことの出来なかった人への仄かな想いに揺らいる。
(篠崎央子)
【篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
【篠崎央子のバックナンバー】
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