寝化粧の鏡にポインセチア燃ゆ 小路智壽子【季語=ポインセチア(冬)】


寝化粧の鏡にポインセチア燃ゆ

小路智壽子
(『絵屏風』)

 寝化粧とは、現代では寝る前に顔の肌を保湿するため化粧水や乳液を塗ることである。中国の後宮では、寝化粧というと皇帝の訪れを待つ女達が夕暮れから施す化粧のことである。化粧をしたまま眠るのは肌には良くないのだが、夜中に訪れるかもしれない皇帝のために美しい顔のまま眠る。女達は、訪れがあってもなくても朝になると化粧を落とす。後宮から流れる川が落とした白粉で真っ白に染まったと伝えられている。

 日本の遊女は昼見世の前に風呂に入る。化粧を落として素顔になる時間は、数時間ほどであった。白粉による水銀中毒で長生きすることは難しかったとか。

 何の小説だか忘れてしまったが、昭和初期の遊郭で働く遊女が密かに逢う情夫に湯上がりの素顔を見せている場面があった。情夫は遊女の素顔を気に入り、結婚を申し込む。結果的に情夫は、父親の進める縁談を断れず、遊女もまた上客に身請けされ、囲われの愛人となる。遊女あがりの女は、週に数回、夜しか訪れない旦那のために丁寧に化粧をしながら空しさを覚える。

 高校を卒業して、ひとり暮らしになった頃、化粧を覚えた。赤ら顔の頬を白いファンデーションで塗りつぶし、一重瞼に青いシャドウを施し、口には真っ赤なルージュを引いた。年末に実家に帰ったら祖母に「どなたですか?」と言われた。母が大笑いして「化粧しないほうが可愛いのに」と言った。更には、母の教え子が看護士になり、患者であった資産家と結婚したが、新婚旅行の夜に化粧を落とした素顔を見せたら成田離婚されてしまったというエピソードまで話した。「あなたの素顔を愛してくれる人と結婚しなさい」と教えてくれた。

 女性には勝負の日というものがある。男性と初めて肌を触れ合わす夜は、湯上がりでも火照った顔にファンデーションをまぶすものである。身体は許しても素顔を見せないのは女性の矜恃でもある。心まで打ち解ける仲ともなれば素顔も見せるのだが。男性の口説き文句で「化粧をしていない君を見てみたい」という言葉があるが、真に受けてはいけない。自分の全てを愛してくれる男性だと確信するまでは、着飾った自分を演出するべきである。

 私の夫は、勝負の日から間もなく私の素顔を見ることになる。私の誕生日は大寒で食事をした店も足元から冷えてゆく。冷え性の私は一度冷えると震えが止まらなくなる。とにかく暖まらないといけないという焦りから、湯を沸かして風呂に入った。成り行きなのだが、一緒に入った夫が「化粧を落とそうか」と言って洗顔料を馴染ませた手の平で私の顔を両手ですりすりする。魔法が解けたシンデレラのようにあっという間に素顔になった私を見て「なんだ。化粧しないほうが可愛いね」と言った。化粧をしない私は下膨れの一重目蓋というコンプレックスがある。本来の素朴な顔立ちを愛してくれたのだろう。

  寝化粧の鏡にポインセチア燃ゆ   小路智壽子

 クリスマスの頃から新年まで真っ赤な葉を燃やすポインセチア。実は、日当たりの良い窓際に置くとあっという間に赤い葉が緑色になってしまう。ポインセチアは、常緑なのである。日照時間が短くなると葉が赤くなるらしい。花屋では、暗室に置くなどして日照時間を調節しているようだ。ポインセチアの赤は、その性質を知っている人間によって、クリスマスのために赤くさせられていたのだ。

 当該句は、クリスマスの夜という勝負の日なのだろう。湯浴みもそこそこにして、男性を待つ緊張の時間。美しき顔で臨みたいが着飾らない演出も必要。肌に負担の掛からないナチュラルメイクを施したのかもしれない。ドライヤーで髪を乾かし、髪の手入れも大事。少し遅れて湯から上がった男性は、ベッドに横たわって自分を待っている。身の火照りを察したかのように鏡の中のポインセチアが燃える。 

 作者の小路智壽子氏は結社「ひいらぎ」の主宰で、先の主宰小路紫峡氏の妻である。夫とは、阿波野青畝主宰の結社「かつらぎ」(現在は森田純一郎氏が主宰)で出逢ったと思われる。ポインセチアは、室内で栽培すれば、枯れることなく緑の葉を持ち続ける。いわば常葉の木だ。燃え上がるような夜もあったが、寝化粧を施さず素顔を見せる仲になっても、夫婦として俳句の同志として永遠の葉を保ち続けたのだ。

篠崎央子


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【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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