水中に風を起せる泉かな 小林貴子【季語=泉(夏)】


水中に風を起せる泉かな)

小林貴子

 今世の中は「二刀流」のキーワードで賑わっているが、その元祖といえば宮本武蔵に間違いあるまい。映画「宮本武蔵 般若坂の決斗」(1962年、中村錦之助主演)で宮本武蔵は荒くれ者たちに向かってこのような台詞を発する。「物事は目で見、耳で聞くばかりでなくよく肚で見ろ」と。真実を見通す極意のかみ砕いた表現である。

 映画はシリーズ全5部のうちの第2作で、吉岡一門を一人で倒したという伝説的すぎる筋書きがリアリティをもって再現されている。武蔵が二刀流に開眼するのは第3作のことである。

 そういえば以前落語家・柳家喬太郎が落語の時に心がけていることとして「腹でしゃべること」と語っていた。

 「肚」なのか「腹」なのかは筆者の直感で決めてしまったが、「肚」はものを見るときの、「腹」は言葉を発する時の肝のように思われる。「はら」が「きも」なのだ。

  水中に風を起せる泉かな

 泉は季節によって枯れたり復活したりする性質のものではないが、こんこんと湧く水の姿には清涼感と生命感がある。泉を詠んだ名句は数あるが、掲句が抜きん出ているのは水面の姿や存在感ではなく泉の底、その源泉を詠んでいる点である。目で楽しんでいるのではなく腹の底から泉の涼しさを堪能しているのだ。実際目で確認できるのは水面だけだが、水の湧き上がりようを見ていると水その動きが読み取れる。そこに精神を傾けたからこそ発見できた詠みようだ。

 「風を起こす」のは水中なのだが、水の動きをイメージの中で再現してみると五臓六腑に風が起こるような爽快感がある。きれいな水が自分の体内に湧き上がるかのようだ。

 水面は平面のこともあるが波立ち、流れ、膨らみ、場合によっては凹むことがある。変化は多いがその動きのパターンは限られている。その繊細な変化をどうとらえ、表現するのか。適切な措辞を探すのが第一段階だとすると、それに飽き足らなくなった第二段階が内面の探索ではないだろうか。

 といってもレオナルド・ダ・ヴィンチが史上初の人体解剖図を描いたような美術解剖学的アプローチはあまり現実的ではない。しかし心眼を研ぎ澄ませることならできる。吟行では適切にして詩的な言葉を探すことを求めて対象を観察するが、その内面や源泉、細胞に思いを巡らせることにもっと時間を費やしても良いのかもしれない。それこそその場でないと感じとれないものがあるはずである。

 写生を極めていくと腹で見ることができるようになるのだろうか。

 『黄金分割』(2019年刊)所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


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