ポケットにギターのピック鰯雲 後閑達雄【季語=鰯雲(秋)】


ポケットにギターのピック鰯雲

後閑達雄

裁縫道具、ウェットティッシュ、救急セット。あるかどうか聞くと必ず「ある」と答えてくれる人がいる。その人の1泊分の旅行鞄は私の1週間分くらいの大きさだった。日頃荷物多過ぎだな…と思っていながら結局その人が持ち歩いているものに頼ってしまう自分。世の中は色々な種類の人間がいるから成立するのだ。

そういう人には物では恩返しできない。いつも気の利いたお土産をくれるからだ。一応物でも返すがそれでは全然足りていないので一番の味方として話を聞き、服や持物の良いところを見つけて褒めている。

何をしても足りない…。だから恩を返し続ける。それは裁縫道具を貸してくれたことに対してだけではなく、人のために重い荷物を持ち続ける生き方に。

大袈裟なこと書いちゃったなぁ。これも秋のせいですよ。

ポケットにギターのピック鰯雲

ギターのピックを持ち歩くとはどういう心情からなのだろう。

ピックだけを持ち歩いていてなじみの店やこれから行くスタジオに置いてあるギターを弾くつもりなのか。あるいはギターをずっと抱えていたいところ、そうもいかないのでせめて好きなタイミングでピックに触れるためにポケットに入れてある、と考えることもできる。そうそう、よく忘れてしまうからどの服のポケットにも入れてあるのかもしれない。まだはギターが欲しいのに買えるほどお小遣いがたまっていない小学生がとりあえずピックだけ買ったとも?

いくらでも浮かんでしまうが、答えを一つに決める必要はなく、読み手に最も近い情景を想像すれば良い。

鰯雲からは思春期というより壮年期が思われる。音楽を職業にしようと考えた時期もあったがそうではない道を選んだ。それでもギターを愛し続けているような人物像が浮かぶ。青春時代を思い返してポケットのピックをぎゅっと握っているのだ。

俳人にとってのピックは俳句手帳(以下「句帳」。スマホのメモアプリ含む)だろうか。ギターのピックはコインやカード類で代用可能。句帳だって紙とペンさえあればいかようにもできる。スマホならほとんど忘れることがない。

いずれもなかったところでなんとかなるのだが、あれば心が安らぐし、ギターや俳句を愛している気持ちのあらわれを持ち歩くことが喜びなのだ。

鰯雲は愛し続けてきた時間の具現化ともとれる。あ、いや、もしかしたら楽譜がほどけてばらばらになって空に還った?

『カーネーション』(2024年刊)所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】



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