柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規【季語=柿(秋)】


柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺)

正岡子規

本を読んでいると、気になる言い回しというのにしばしば遭遇します。たとえば今日は「言わずと知れた」という言い回しを目にしたのですが、これってどのくらい人口に膾炙してる事柄だったら自然かつ妥当なのでしょう。わたしは何につけ教養がないので「いや。知らないんだけど?」と思うことがしょっちゅうで、時にはこの言い回しが知る人と知らない人との間にサロン的結界を張っているかのようにも映るんですよ。で、そのたびに「この人はいったい誰に向かって書いているのだろう」とか「読者に伝えるってどういうことだと思っているのだろう」などと想像してみるのでした。

どんな事柄であれ、知らない人が必ずいるのが世の中というもの。俳句の話をすると、おそらく日本で一番有名なのは松尾芭蕉の〈古池や蛙飛びこむ水の音〉ですが、この俳句が「言わずと知れた」ものかというと、うーんどうなんでしょう、わたしはちょっと怪しいと思います。

とここまで書いて、いまとつぜん「ん? ちょっと待って。そもそも日本で一番有名な俳句ってほんとに〈古池や蛙飛びこむ水の音〉なのかしら?」と疑問が湧きました。なんか違うような気がしません?  うん、たぶん違いますね。子供のころを思い出してみるに、こちらの方が誰の口にものぼり、その扱いがほとんど諺の域に達していたはずです。

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
正岡子規

初出は『海南新聞』1895年11月8日号。〈古池や蛙飛びこむ水の音〉が意味に偏っているのに比べ〈柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺〉は音がひとつひとつ粒立って、勢いあり、鋭さあり、伸びあり、跳ねありといった風で愛唱されるにぴったりです。内容面では「食ったら鳴った」の連鎖が明快かつ劇的で、きれいに理を欠いている分やはり口ずさみやすい。柿の味覚から鐘の聴覚、そして法隆寺のある風景への視覚といった五感の転じもテンポ良く、構成も見事。良い意味での「ポピュラリティの最高峰」といえるでしょう。

そんなわけで、法隆寺の茶店に憩ひつつ、子規が好物の柿にかぶりついているようすが目に鮮やかなこの句ですが、実のところ内容はフィクションのようです。また夏目漱石の〈鐘つけば銀杏ちるなり建長寺〉への返歌ではないかとも言われています。

小津夜景


【執筆者プロフィール】
小津夜景(おづ・やけい)
1973年生まれ。俳人。著書に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)、翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版、2018年)、近刊に『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(素粒社、2020年)。ブログ「小津夜景日記


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