自動車も水のひとつや秋の暮
攝津幸彦
(『攝津幸彦句集』1994年)
誰に習うでもなく俳句をはじめてそんなに経たない頃のこと、どういう経緯からか、たまに知らない人から突如句集が送られてくることがあって、驚いたし戸惑った。掲句はそんな中の一冊からとった。一人暮らしのアパートに、相手が何者かよく解らない人から急に代金を払ったでもない本が届くのであるから戸惑うのも無理はない。のちのち句集は贈答文化だなんて言う話もきいたが、そういう文化に触れていないそのころの自分には、なんで送られてくるのかが納得できない。いまと違ってインターネットで検索、などということができる時代でもない。何か返礼をするべきなのか、などと思ったが、貧乏大学院生だったのでそんな余裕はない。いまから思えば拙いなりに読んだ感想でも送ればよかったのだろうが、そういうことはしなかった。いずれ直接会って礼を言う機会もあるだろう、くらいに思っていたのである。結果、日本人男性の平均寿命から比べれば遙かに短命だった攝津幸彦には、ついに会いそこねた。いまはたまたまある同人に誘われて「豈」にいるのだが、だから残念ながら攝津との縁と言えばこの一冊くらいしかない。
さて、攝津の俳句の特徴の一つは、「三島忌の帽子の中のうどんかな」や「露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな」のような意外性。言語明瞭意味不明とでも言えば良いのか、俗で意味がわかりやすい語であっても、通常の俳句の理解の文脈を意図的に不成立にするような成分を混ぜて取り合わせの中におかれている。掲句もその中の一つと言えるだろう。なぜ「帽子の中のうどん」なのか、なぜ「路地裏を夜汽車と思ふ」のか、なぜ「自動車も水のひとつ」なのか、なにやら思わせぶりで、何かありそうなのだが、読者はなんのヒントもなく解釈の海に放り出されることになる。そこで泳ぐ楽しさを見出した者は攝津の句を喜ぶのかもしれないけれども、現代はあまりに多くの俳句がわかりやすすぎて、こういう類の句を読む意欲を削いでしまっているかもしれない。
それはさておき、掲句。「水」にまつわる連想からたどれば、水→地球は水の星→地球は一つ→人類は同じ船「宇宙船地球号」に乗っている→乗り物→車→石油→エネルギー危機→危急存亡の〈秋〉/人類の〈終焉〉→秋/暮、という具合に、広がる言葉をいくつか組み合わせると、それなりに句のパーツが拾えることがわかる。「帽子の中のうどん」も、帽子→頭→脳みそ→脳みその皺の模様→袋売りのゆでうどんの模様、という風に連想を働かせれば、案外に連想の近いところにパーツはある。これらは単線でつないだが、実際にはもっと放射状に広がってある中の一部と考えてもらっていい。攝津の句の作り方が実際どうだったかは知らないが、そういう言葉の連想マップとそれを巡る人間の思考の働きに意識的だったことは確かだろう。そして近からず遠からずが通常の取り合わせの機微とするなら、そこより少し遠目の言葉を結んで、日常を非日常化する方へ大幅に寄せているような意図が感じられる。こわさず、まとめずというギリギリを攻めるような創作の志向性を支えるのは、言葉のぶつかり合う無限の面白さの探究であっただろうか。
さて、以下余談のことながら。いまや車も水素燃料エンジンで動く時代がきた。それが一般に普及する未来が到来するとすれば、その時代の人はこの車が水だと言ってのける句を違和感なく読んでしまうのだろうか、などと想像してしまう。あるいは、掲句の隣の頁にある「幻のひとつ休らふ大銀杏」という句などを読むと、いまはない鶴岡八幡宮の大銀杏のことを思い出す。攝津が一句と成した現場とまったく縁のないであろう未来の出来事とすでにある句が奇妙につながる読みの面白さのようなものがそこには感じられる。
(橋本直)
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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。