犬の仔のすぐにおとなや草の花
広渡敬雄
公園へ向かってなだらかに下る坂道に家が並んでいる。その一軒からポメラニアンが出て来た。よちよちと門のすぐ外まで歩くと、そこが定位置のように座る。迷惑そうでもないので、一緒にしゃがみ込み「こんにちは」と話しかけた。覚束ない足取りから想像はついたけれど、近くで見れば毛並みは艶が失われ、まごうかたなき老犬。その犬を少し離れて見守っていた人がひっそり傍に立った。私も立ち上がり「可愛いですね。」と褒めると、「ええ、でも年なんですよ。」と答えてくれた。おっとりした口調に年配の女性らしい落ち着きがある。15歳だという犬にはその声も届いているのかどうか。白内障とは思えないつぶらな瞳に夕暮れが降りはじめていた。
帰宅して調べたところ、犬の15歳は人間の76歳に相当するのだそうだ。飼主さんと今ちょうど同い年くらいかもしれない。活発で遊び好きというポメラニアンのこと、子犬の頃は散歩で息が切れるほど走らされたり、甘えん坊ぶりに手を焼いたりしたこともあっただろう。それが、たった15年のうちに人の年に追いつき、追い越し、穏やかな老境を迎えてしまう。家で飼っていた犬は私が12歳の時に生後数か月でやって来て、28歳の時に老衰で世を去った。
犬の仔のすぐにおとなや草の花
句集『ライカ』を開いてこの句に目が留まったのは、先日の散歩途中のことが頭から抜けていなかったからだと思う。勿論、ここに登場する犬はおとなといってもまだ若い。そんなにすぐに老成されては堪らない。ついこの間まで、自分の尻尾を追いかけてくるくる回るような仔犬仕草を見せていたのに、今や立派な青年犬だと解したい。成長ぶりに心底驚いた!というストレートな感動が中七の「や」切れから伝わる。さて、こうした所謂二物衝撃句の場合、どのように季語を展開するかが、作者の腕の見せ所であり個性となる。例えば「南風」や「雲の峰」或いは「天高し」などの先行きが明るいだけの季語ならば凡句で終わってしまう。「草の花」は犬のいる景色としてありふれていながら、予定調和を外れた意外性がある。仔犬からおとなへの成長真っ盛りと、夏という勢いのある季節を過ぎて野に咲く小さな花のイメージとの間に生じる微妙なずれ。これが切ない余韻の正体だろうか。もはや子供でも若者でもない作者や私たちは知っているのだ、犬に流れる時間の速さを。飛ぶような足取りがいつかゆっくりになることを。やがて来るその時を草の花もまた知っていて、犬の足を優しく包み込む。
(『ライカ』ふらんす堂 2009年より)
(太田うさぎ)
🍀 🍀 🍀 季語「草の花」については、「セポクリ歳時記」もご覧ください。
【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。
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