スタールビー海溝を曳く琴騒の 八木三日女


スタールビー海溝を曳く琴騒の

八木三日女
(「Unicorn」創刊号 昭和43年)


「Unicorn」を短く紹介すると、高柳重信や金子兜太、あるいは飯田龍太ら、高度成長期の俳壇をリードする戦後俳句の俳人達になにか違和感を感じた下の俳人達が集まった結社横断的な同人誌、ということができようか。創刊号の同人名簿には、伊藤陸郎・馬場駿吉・徳広順一・大岡頌司・大橋嶺夫・大原テルカズ・加藤郁乎・吉本忠之・竹内義聿・竹内恵美・八木三日女・安井浩司・前田希代志・松林尚志・前並素文・藤吉正孝・酒井弘司・島津亮・東川紀志男・門田誠一の20人の名がある。いまや俳壇から消えてしまった名もあるものの、錚々たる、といって良い陣容ではないかと思う。

八木三日女については、「雷光」や「夜盗派」など関西前衛派に属した俳人で、その後「海程」同人となって金子兜太と行動を共にした人、というイメージを持っているのだけれど、それ以上のことはよく知らない。昭和43年に俳句に「スタールビー」を詠んでしまうところで生活苦のある人ではないのだろうと下世話な想像が働かないでもないが、それより「海溝を曳く琴騒」という措辞である。「琴騒」は「ことざい」とルビがふってある。「〇騒(〇ざい)」という表現を俳句で見ることはそれなりにあるように思うが、「琴騒」は初めて見た。おそらく、琴を掻き鳴らす様を言ったものと思う。琴の音が海溝をたぐりよせるというのである。句の読みとしては、上五で切れ、下五中七でまとまる取り合わせと見えるが、倒置構造であると解する。スタールビーの曲面にある十字の模様があたかもこの地球の海溝めき、それはただの海溝ではなく、掻き鳴らされる琴の音が引き寄せたものであるという。してみれば、琴を弾く手の指にあるスタールビーの指輪の十字の光の残像に触発されて、そこに海溝を幻視した句作であったろうか。現象に引き寄せれば魔法幻術めく表現であるが、神話の世界の出来事のようでもある。

橋本直


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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


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