「十六夜ネ」といった女と別れけり
永六輔
高校時代、ありがとうをいつも「サンキュ」という同級生がいた。特に特徴のない言葉なのだがやはりありがとうの方が主流だし「サンキュー」でなく「サンキュ」である点も印象に残る。彼女のことはフルネームでは覚えていないのだが「サンキュ」と言われたその「キュ」の感じは今でもありありと思い出す。
「十六夜ネ」といった女と別れけり
女と別れた。「十六夜ネ」とぽつりと口にするような女だった。十五夜ではなく十六夜に心を動かしているところがやはり自分好みだ。これからも十六夜が近づく度に彼女のことを思い出してしまうだろうが、それは未練というよりは「十六夜ネ」という言葉に恋しているのかもしれない。
「十六夜ネ」といった女、と言い切った。女の形容は他にいくらでもある。長い髪の女、黒服の女、泣きぼくろの女。しかしこの句では容姿や属性ではなく一つの発言を取り上げて代名詞としている。粋なやりとりが連想され、悪い関係ではなかったことが思われる。
タイミングが気になる句である。「十六夜ネ」と女が言ったのは十六夜であろうが、別れたのはどの時点か?言った直後か、数日後か、ずっと後なのか。
季語の役割にこだわるのであれば十六夜当日、あるいはその前後である。しかしこの句ではその季語が「 」のなかに収まっていて距離がある。極論をいえば無季ともいえる。だとすると旧暦八月十六日の夜にこだわる必要はなくなるだろう。
無季と言い出す理由のもう一つは、「別れけり」がいつの時点のことか不明だからだ。「十六夜ネ」と言った直後でもそこからずっと離れても、つまりどの季節でも成立する。
こういう時は原典にあたるのが一番。掲句は平成13年(2001年)8月の項目に収録されている。なんと、十六夜の前月だった!であれば、昨年以前に「十六夜ネ」発言をしたその女とある年の8月に別れたということだ。2000年の十六夜は9月20日。そこから少なくとも11ヶ月を経ての別れということになる。
舞台設定を考えると無季っぽいのだが、十六夜が来る度にこれからもこの句を思い出してしまいそうな点で季感がある。「十六夜ネ」と言った女とは新酒を酌み交わしたに違いない。別れもさらっとしたものだったであろう。これぞ大人。
作詞家として数々のヒット曲を世に送り出しながら俳句を始めたために作詞をやめることになってしまったという作者は、柳家小三治の「この句会*で俳句を作らなきゃ、どんなに楽しい会だろう(*:東京やなぎ句会)」という発言に同意を示しながらも晩年まで俳句を続けた。楽しんで作っている人の俳句は楽しい。
(吉田林檎)
【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)。
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