はるかよりはるかへ蜩のひびく
夏井いつき
メディアとは情報伝達を仲立ちするものであり、何かを媒介するための物質のことである。新聞・雑誌やテレビ・Webを真っ先に思い浮かべるが、媒介するという部分だけを取り上げると渡すものは情報だけではなく不動産や酒類、感染症など様々である。
子どもの頃伝言ゲームというものが流行ったが、あれは人が言ったことをそのまま伝える遊びだった。ただそれだけなのに出来るチームと出来ないチームがある。人間の耳とは曖昧なものだ。前後の脈絡がないと聞き取ることも満足に出来ないことがあるのだから。
人の発言を直接話法でそのまま再現することも大事だが、同じ内容を受け手に適切な流れに変換することも大事。伝言か、要約か、あるいは脚色か。ああ、生きるって難しい!
さてこの記事がアップされる2023年8月19日(土)は「819(ハイク)」で俳句の日。俳句甲子園の開会式・予選リーグ・予選トーナメントが愛媛県松山市の大街道商店街特設会場で開催される。同大会は今でこそ現代俳句を語る上で無視できない存在となったが、立ち上げ当初は紆余曲折があったと夏井いつき氏は語っていた。詳細は講演などに出席して是非直接聞いてみていただきたい。
はるかよりはるかへ蜩のひびく
遠くから聞こえてくる蜩の鳴き声が別方向の遠くへと響く。西の山から東の山へ響き渡るイメージだ。蜩の姿以外は音のみの世界。その蜩もこの句では姿がありありと見えるというわけではなく声を届けるための記号的な存在感である。そしてひらがな表記に囲まれた漢字一文字に意識は集中する。
蜩は声そのものに哀愁がある。さらに、音階が下がっていくことで何かが収束していくのを感じる。晩夏から鳴き始めるのもまた夏が終り行く寂しさに拍車をかける。しかし掲句は寂しさの中にも次の世界につながっていくものを伝えていて希望がある。
「はるか」は物理的な隔たりと同時に時間的な距離も表す。実景が元になっているのだろうが、何か大切なものが過去から未来へ、蜩の声を媒介して着実につながっていることも強く思わされる。中七から下五への句またがりがそのつながりの確かさを強調する。
この句が作られた当時は俳句甲子園(1998年~)立ち上げ前かその最中であったと思われる。過去から未来へ俳句というバトンを渡したいという思いが最も熟成していた時期だったのであろう。
俳句甲子園という媒体は多くの人の人生を変え、俳句の新しい潮流を作り上げた。俳句甲子園の晴れ舞台で披講するその声がはるかよりはるかへ声をひびかせている蜩に重なるのである。
『句集 伊月集 龍』(2015年刊/第一句集『伊月集』[1999年刊]の新装復刊)所収。
(吉田林檎)
【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)。
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【吉田林檎のバックナンバー】
>>〔62〕寝室にねむりの匂ひ稲の花 鈴木光影
>>〔61〕おほぞらを剝ぎ落したる夕立かな 櫛部天思
>>〔60〕水面に閉ぢ込められてゐる金魚 茅根知子
>>〔59〕腕まくりして女房のかき氷 柳家小三治
>>〔58〕観音か聖母か岬の南風に立ち 橋本榮治
>>〔57〕ふところに四万六千日の風 深見けん二
>>〔56〕祭笛吹くとき男佳かりける 橋本多佳子
>>〔55〕昼顔もパンタグラフも閉ぢにけり 伊藤麻美
>>〔54〕水中に風を起せる泉かな 小林貴子
>>〔53〕雷をおそれぬ者はおろかなり 良寛
>>〔52〕子燕のこぼれむばかりこぼれざる 小澤實
>>〔51〕紫陽花剪るなほ美しきものあらば剪る 津田清子
>>〔50〕青葉冷え出土の壺が山雨呼ぶ 河野南畦
>>〔49〕しばらくは箒目に蟻したがへり 本宮哲郎
>>〔48〕逢はぬ間に逢へなくなりぬ桐の花 中西夕紀
>>〔47〕春の言葉おぼえて体おもくなる 小田島渚
>>〔46〕つばめつばめ泥が好きなる燕かな 細見綾子
>>〔45〕鳴きし亀誰も聞いてはをらざりし 後藤比奈夫
>>〔44〕まだ固き教科書めくる桜かな 黒澤麻生子
>>〔43〕後輩のデートに出会ふ四月馬鹿 杉原祐之
>>〔42〕春の夜のエプロンをとるしぐさ哉 小沢昭一
>>〔41〕赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧梧桐
>>〔40〕結婚は夢の続きやひな祭り 夏目雅子
>>〔39〕ライターを囲ふ手のひら水温む 斉藤志歩
>>〔38〕薔薇の芽や温めておくティーカップ 大西朋
>>〔37〕男衆の聲弾み雪囲ひ解く 入船亭扇辰
>>〔36〕春立つと拭ふ地球儀みづいろに 山口青邨
>>〔35〕あまり寒く笑へば妻もわらふなり 石川桂郎
>>〔34〕冬ざれや父の時計を巻き戻し 井越芳子
>>〔33〕皹といふいたさうな言葉かな 富安風生
>>〔32〕虚仮の世に虚仮のかほ寄せ初句会 飴山實
>>〔31〕初島へ大つごもりの水脈を引く 星野椿
>>〔30〕禁断の木の実もつるす聖樹かな モーレンカンプふゆこ
>>〔29〕時雨るるや新幹線の長きかほ 津川絵理子
>>〔28〕冬ざれや石それぞれの面構へ 若井新一
>>〔27〕影ひとつくださいといふ雪女 恩田侑布子
>>〔26〕受賞者の一人マスクを外さざる 鶴岡加苗
>>〔25〕冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ 川崎展宏
>>〔24〕伊太利の毛布と聞けば寝つかれず 星野高士
>>〔23〕菊人形たましひのなき匂かな 渡辺水巴
>>〔22〕つぶやきの身に還りくる夜寒かな 須賀一惠
>>〔21〕ヨコハマへリバプールから渡り鳥 上野犀行
>>〔20〕遅れ着く小さな駅や天の川 髙田正子
>>〔19〕秋淋し人の声音のサキソホン 杉本零
>>〔18〕颱風の去つて玄界灘の月 中村吉右衛門
>>〔17〕秋灯の街忘るまじ忘るらむ 髙柳克弘
>>〔16〕寝そべつてゐる分高し秋の空 若杉朋哉
>>〔15〕一燈を消し名月に対しけり 林翔
>>〔14〕向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一
>>〔13〕膝枕ちと汗ばみし残暑かな 桂米朝
>>〔12〕山頂に流星触れたのだろうか 清家由香里
>>〔11〕秋草のはかなかるべき名を知らず 相生垣瓜人
>>〔10〕卓に組む十指もの言ふ夜の秋 岡本眸
>>〔9〕なく声の大いなるかな汗疹の児 高濱虚子
>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏 堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
>>〔6〕香水の一滴づつにかくも減る 山口波津女
>>〔5〕もち古りし夫婦の箸や冷奴 久保田万太郎
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎 神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる 岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな 蜂谷一人
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】