春の雁うすうす果てし旅の恋
小林康治
(『玄霜』)
旅先での恋は一夜にして燃え上がる。その時は本気なのだが、旅が終わり日常に戻れば美しい想い出となってゆく。忘れるのが礼儀である。「旅の恥は掻き捨て」ではないが、いわゆる火遊びの恋、アバンチュールの夜である。
中国旅行をした時の添乗員はカガミさんという日本美人。大学で中国の歴史を学び中国語も達者だ。現地ガイドのチンさんは、ジャッキー・チェン似の若者。日本に留学したこともあるという。二人とも同じ年で息の合った連携にツアー客が「付き合っちゃえよ」と冷やかした。水の都と呼ばれる蘇州の柳が花を得た頃であったと思う。ツアー客は夜の外出を禁止されていたのだが、夜の河原を見たくて、こっそりと宿を抜け出した。青島ビールを飲みながら歩いていると柳明りの下でカガミさんとチンさんが語り合っていた。明日の日程の確認をしていただけなのかもしれないが、二人の間には、恋の火の揺らめきを感じた。二泊三日を経て空港でチンさんと別れを告げる。カガミさんの眼が潤んでいた。飛行機の中で「チンさんとまた逢う約束はしたの」と聞くとメールのアドレスは交換したという。「でももう逢えないと思う。チンさんは短期アルバイトのガイドで来月にはカナダに留学するみたい」とのこと。旅先の恋は、実らないものである。
映画『ローマの休日』は、王女の旅先の恋。車の中での別れのシーンが涙を誘う。檀一雄の小説『火宅の人』は、映画が有名であるが原作はもっと面白い。欧州旅行で出逢った素子との恋やホステスの葉子との五島列島の旅。旅の恋は、濃密ながら東京に帰ってくれば終わってしまう。主人公の一雄は、長旅の間ほったらかしにしていた愛人で新劇女優の恵子と別れを告げ、妻のもとに帰ってゆく。男の恋は束の間の旅のようなものなのである。
春の雁うすうす果てし旅の恋 小林康治(『玄霜』)
春の雁は、春になっても帰らず残っている雁のことである。怪我や病気で帰れなかった雁もいれば、これから帰る雁もいる。当該句の雁は、後者の雁だと思う。作者が旅から帰ってきて旅の余韻が薄れた頃、出遅れた雁が北へ帰ってゆく。その雁路の途中には、旅先で出逢った女性の住む土地があるのだろう。あるいは、旅先で出逢った女性に情が湧き、その地に留まろうかという気持ちを一瞬でも持った経緯から残る雁に自分を重ねたとも考えられる。春の雁の寂しげな風情を見て、残らなくて良かったという想いと同時に、旅の地に残してきた女性の佇まいを想い、微かな痛みを封印したのだ。
昔好きだったテレビ番組で別れた恋人や片想いのまま終わってしまった相手を探し出し、依頼者に告白させる企画があった。東京在住の女子大生は、スキー場でナンパしてきた男性と一夜を共にした。東京に戻った後、携帯電話に掛けるも「現在使われておりません」とのアナウンスが流れ繋がらない。相手の男性は八王子市在住の大学生ということと、有名チェーン店でアルバイトをしていることだけが分かっている。テレビの調査員は、その情報を頼りにして、ようやく本人にたどり着く。男性が言うには、スキー旅行の帰りに携帯電話を破損してしまい連絡できなかったとのこと。視聴者としては「本当かしら」と思ってしまうのだが。番組内で二人は再会し、交際する約束をした。あのカップルのその後が知りたいものである。またある時の依頼者は、会社員男性。出張先で出逢った一人旅の女性ともう一度逢いたいという。調査員は、苦心のすえに女性を探し当てるのだが、人妻であったため会社員との再会を拒否する。名前も連絡先も偽っていた人妻。会社員の記憶していた会話の中での僅かな情報で見付け出してしまうテレビの演出が印象に残った。二度と逢うつもりのない会社員に探し出させるような言葉を漏らした人妻の心理も分かるようで分かりかねるものがあった。
旅先の恋、行きずりの恋とは長く続かないものである。お互いの事情も分からず旅先の浮かれ気分での恋。「一期一会」という言葉を胸に秘め身を焦がすような時間を過ごし別れるのが良いのだ。旅情の余韻と共に消えてゆく甘い一夜の記憶を反芻するのもまた何気ない日常の花にはなるだろう。「袖振り合うも多生の縁」という言葉を思えば運命の出逢いともいえる。春の雁に行かないでとは言えないが、いつかまた逢う日もあるのかもしれない。
(篠崎央子)
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【5月2日「愛の火曜日句会」第1回目】
恋の句を詠もう!!というわけで「愛の火曜日」を荻窪の「屋根裏バル 鱗kokera」にて開催致します。
第1回目は【5月2日(火)】です。恋の句を5句持参にてご参加下さい。
○句会場:「屋根裏バル 鱗kokera」(荻窪駅から徒歩3分)
○会場受付:18:00 出句締切:18:30(メールにて遅刻投句受付あり)。
○出句のきまり:5句出句5句選 恋愛の句(恋の雰囲気があればOK)
○参加費:3,000円(飲食込み)
参加希望者は、メールにてお知らせください。初心者歓迎!!
◆屋根裏バル 鱗kokera
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【篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
【篠崎央子のバックナンバー】
>>〔90〕恋の神えやみの神や鎮花祭 松瀬青々
>>〔89〕妻が言へり杏咲き満ち恋したしと 草間時彦
>>〔88〕四月馬鹿ならず子に恋告げらるる 山田弘子
>>〔87〕深追いの恋はすまじき沈丁花 芳村うつぎ
>>〔86〕恋人奪いの旅だ 菜の花 菜の花 海 坪内稔典
>>〔85〕いぬふぐり昔の恋を問はれけり 谷口摩耶
>>〔84〕バレンタインデー心に鍵の穴ひとつ 上田日差子
>>〔83〕逢曳や冬鶯に啼かれもし 安住敦
>>〔82〕かいつぶり離ればなれはいい関係 山﨑十生
>>〔81〕消すまじき育つるまじき火は埋む 京極杞陽
>>〔80〕兎の目よりもムンクの嫉妬の目 森田智子
>>〔79〕馴染むとは好きになること味噌雑煮 西村和子
>>〔78〕息触れて初夢ふたつ響きあふ 正木ゆう子
>>〔77〕寝化粧の鏡にポインセチア燃ゆ 小路智壽子
>>〔76〕服脱ぎてサンタクロースになるところ 堀切克洋
>>〔75〕山茶花のくれなゐひとに訪はれずに 橋本多佳子
>>〔74〕恋の句の一つとてなき葛湯かな 岩田由美
>>〔73〕待ち人の来ず赤い羽根吹かれをり 涼野海音
>>〔72〕男色や鏡の中は鱶の海 男波弘志
>>〔71〕愛かなしつめたき目玉舐めたれば 榮猿丸
>>〔70〕「ぺットでいいの」林檎が好きで泣き虫で 楠本憲吉
>>〔69〕しんじつを籠めてくれなゐ真弓の実 後藤比奈夫
>>〔68〕背のファスナ一気に割るやちちろ鳴く 村山砂田男
>>〔67〕木犀や同棲二年目の畳 髙柳克弘
>>〔66〕手に負へぬ萩の乱れとなりしかな 安住敦
>>〔65〕九十の恋かや白き曼珠沙華 文挾夫佐恵
>>〔64〕もう逢わぬ距りは花野にも似て 澁谷道
>>〔63〕目のなかに芒原あり森賀まり 田中裕明
>>〔62〕葛の花むかしの恋は山河越え 鷹羽狩行
>>〔61〕呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉 長谷川かな女
>>〔60〕あかくあかくカンナが微熱誘ひけり 高柳重信
>>〔59〕滴りてふたりとは始まりの数 辻美奈子
>>〔58〕みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな 筑紫磐井
>>〔57〕告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む 恩田侑布子
>>〔56〕愛されずして沖遠く泳ぐなり 藤田湘子
>>〔55〕青大将この日男と女かな 鳴戸奈菜
>>〔54〕むかし吾を縛りし男の子凌霄花 中村苑子
>>〔53〕羅や人悲します恋をして 鈴木真砂女
>>〔52〕ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 桂信子
>>〔51〕夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子
>>〔50〕跳ぶ時の内股しろき蟇 能村登四郎
>>〔49〕天使魚の愛うらおもてそして裏 中原道夫
>>〔48〕Tシャツの干し方愛の終わらせ方 神野紗希
>>〔47〕扇子低く使ひぬ夫に女秘書 藤田直子
>>〔46〕中年の恋のだんだら日覆かな 星野石雀
>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
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>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて 小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち 檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓
>>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ 仙田洋子
>>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと 五所平之助
>>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな 大木孝子
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>>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま 日野草城
>>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女
>>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー 古賀まり子
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>>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇 新海あぐり
>>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な 遠山陽子
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>>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市 久保田万太郎
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>>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実 保坂敏子
>>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中 鷲谷七菜子
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>>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑 大橋敦子
>>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女 八木三日女
>>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草 深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅 森澄雄
>>〔9〕誰かまた銀河に溺るる一悲鳴 河原枇杷男
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>>〔4〕男欲し昼の蛍の掌に匂ふ 小坂順子
>>〔3〕梅漬けてあかき妻の手夜は愛す 能村登四郎
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【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】