ハイクノミカタ

老人になるまで育ち初あられ 遠山陽子【季語=初霰(冬)】


老人になるまで育ち初あられ

遠山陽子


10月の終わりに那須へ出かけた。先ずはロープウェイから紅葉狩を楽しもうとバスに乗り込んだ。その日は秋晴れとは言わないまでもそこそこの天気だったが、標高が高くなるにつれ雲行きが怪しくなり出した。沿道の木立も激しく揺れている。細く開けた窓からは寒気が入り込む。終点の山麓駅が近づいたところで、冷たいものが頻りと頬を打つ。小雨が降り込んで来たかと思いきや、何と霰であった。まさかこの季節に…。結局ロープウェイは強風のため運休。紅葉どころか、見上げる頂はすっかり冬山の態を成していたのであった。それでも、転んでもただは起きないのが俳人。期待外れなどと自然に失礼な考えは持たない。紅葉の代りに霰を浴びたもんね、と特別な体験にちょっと浮かれたのは、俳人というより、単にお目出度く生まれついたせいかもしれないけれど。

掲句を読んだとき、あの霰を再び頬に浴びているような心持になった。

なんだか不思議な句だ。「老人になるまで育ち」が実に引っかかる、というか奥深い、というかキュート。普通、「育つ」とは生まれてから一人前になるまでに使われる言葉でしょう。動物でも、植物でも、成長の到達点を迎えた後は速度の差はあれ衰退の途を辿るのだ。ところが、「老人になるまで育ち」という言い方には、今が成熟のピークというニュアンスがある。勿論それを文字通り受け取ってはならない。幾分かの含羞もあるだろうし、「気がつけば老人」のようなありきたりな表現には満足しない気骨が「育つ」という力強い言葉に表れていると思う。「大きくなったね」と目を細めてくれる両親や当時の大人はもういない。だから自分で驚いて、自分で寿ぐ。「初あられ」の初は祝でもあるけれど、身に降るのは桜でも雪でもなく、冷たい霰だ。自らを甘やかすかに見せて、しっかりと身を引き締めている。かっこいい。

いつか、私も老人になったなー、と思った時にこの句を呟きたい。その日がまだまだ先のような、あっという間に来てしまいそうな。

『遠山陽子 俳句集成』 素粒社 2021年より)

太田うさぎ


【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』


【太田うさぎのバックナンバー】

>>〔59〕おやすみ
>>〔58〕天窓に落葉を溜めて囲碁倶楽部   加倉井秋を
>>〔57〕ビーフストロガノフと言へた爽やかに 守屋明俊
>>〔56〕犬の仔のすぐにおとなや草の花    広渡敬雄
>>〔55〕秋天に雲一つなき仮病の日      澤田和弥
>>〔54〕紐の束を括るも紐や蚯蚓鳴く      澤好摩
>>〔53〕鴨が来て池が愉快となりしかな    坊城俊樹
>>〔52〕どの絵にも前のめりして秋の人    藤本夕衣
>>〔51〕少女期は何かたべ萩を素通りに    富安風生
>>〔50〕悲鳴にも似たり夜食の食べこぼし  波多野爽波
>>〔49〕指は一粒回してはづす夜の葡萄    上田信治
>>〔48〕鶺鴒がとぶぱつと白ぱつと白     村上鞆彦
>>〔47〕あづきあらひやひとり酌む酒が好き  西野文代
>>〔46〕夫婦は赤子があつてぼんやりと暮らす瓜を作つた 中塚一碧楼
>>〔45〕目薬に涼しく秋を知る日かな     内藤鳴雪
>>〔44〕金閣をにらむ裸の翁かな      大木あまり
>>〔43〕暑き夜の惡魔が頤をはづしゐる    佐藤鬼房
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>>〔15〕悲しみもありて松過ぎゆくままに   星野立子
>>〔14〕初春の船に届ける祝酒        中西夕紀
>>〔13〕霜柱ひとはぎくしやくしたるもの  山田真砂年
>>〔12〕着ぶくれて田へ行くだけの橋見ゆる  吉田穂津
>>〔11〕蓮ほどの枯れぶりなくて男われ   能村登四郎
>>〔10〕略図よく書けて忘年会だより    能村登四郎
>>〔9〕暖房や絵本の熊は家に住み       川島葵 
>>〔8〕冬の鷺一歩の水輪つくりけり     好井由江
>>〔7〕どんぶりに顔を埋めて暮早し     飯田冬眞
>>〔6〕革靴の光の揃ふ今朝の冬      津川絵里子
>>〔5〕新蕎麦や狐狗狸さんを招きては    藤原月彦
>>〔4〕女房の化粧の音に秋澄めり      戸松九里
>>〔3〕ワイシャツに付けり蝗の分泌液    茨木和生
>>〔2〕秋蝶の転校生のやうに来し      大牧 広
>>〔1〕長き夜の四人が実にいい手つき    佐山哲郎


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