俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第70回】 浅草と久保田万太郎

「前書が句と表裏一体の関係で成立する巧みさは当代随一、又虚子と共に挨拶句作者の双璧。「俳句を余技」と称し、専門俳人の様に十七文字との格闘に脂汗を垂らすのではなく、不断着の文学である」(山本健吉)、「東京の生んだ〈歎かひ〉の発句」(芥川龍之介)、「万太郎俳句は、下町の文化が、下町の文化の育んだ感性によって詠み込まれている」(宗田安正)、「失われた家郷浅草を誰よりも愛することで、逆説的にローカリズムを超えた広やかな美の地平に翔び立てた天性の詩人」(恩田侑布子)等の鑑賞がある。

猫好きな万太郎

新参の身にあかあかと灯りけり

神田川祭の中をながれけり

秋風や水に落ちたる空のいろ

したゝかに水をうちたる夕ざくら 渡邉町といふところ

芥川龍之介佛大暑かな   昭和二年七月二十四日

ふりいでし雪の中なる松飾

さる方にさる人すめるおぼろかな

水中花咲かせしまひし淋しさよ

來る花も來る花も菊のみぞれつゝ 妻死去

枯野はも縁の下までつゞきをり  病む

時計屋の時計春の夜どれがほんと

あるじなき月の二階を仰ぎけり 悼泉鏡花先生

かはせみのひらめけるとき冬木かな 小石川後楽園

ゆめにみし人のおとろへ芙蓉咲く

うちてしやまむうちてしやまむ心凍つ

みじか夜の劫火の末にあけにけり 空襲わが家焼亡

何もかもあつけらかんと西日中 終戦

仰山に猫ゐやはるわ春灯 祇園「杏花」にて

水にまだあをぞらのこるしぐれかな

叱られて目をつぶる猫春隣

白足袋のすぐに汚れてあたゝかき

夏場所やひかへぶとんの水あさぎ

春の雪待てど格子のあかずけり 長男耕一氏死去

あさがほのはつのつぼみや原爆忌 八月六日

たよるとはたよらるゝとは芒かな

すつぽんもふぐもきらひで年の暮

死んでゆくものうらやまし冬ごもり

湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

鮟鱇もわが身の業も煮ゆるかな

春の灯の水にしづめり一つづつ

花冷えの燗あつうせよ熱うせよ

「万太郎は、蕪村を写生の雄として近代俳句を出発させた子規更に虚子とは、異なり、上古から日本文学が受け継いで来た花の香り(相聞と挽歌)に籠められた感情の深淵と優雅な文辞の伝統を受け継ぐ、「やつし」の俳人」との恩田氏の評に深く頷かざるをえない。小説戯曲等の作品はいざ知らず、万太郎俳句は今後とも残り続けるだろう。

(書き下ろし)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


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