全国・俳枕の旅【第72回】 松山・石手寺と篠原梵


【第72回】
松山・石手寺と篠原梵

広渡敬雄
(「沖」「塔の会」)

愛媛県の県都で四国第一の都市・松山は、瀬戸内海交通の要衝で、江戸時代は親藩久松(松平)家の城下町。俳諧が盛んで、正岡子規、内藤鳴雪、河東碧梧桐、高浜虚子、中村草田男、石田波郷等を輩出し、毎夏開催される高校生の俳句大会「俳句甲子園」も名高い。

松山城(松山市公式観光WEBサイト )
大街道(俳句甲子園会場 松山市公式観光WEBサイト)

日本最古の道後温泉、名城松山城があり、旧制松山中学に赴任した夏目漱石の名作「坊ちゃん」の舞台ともなり、自由律俳句の種田山頭火の終焉地・一草庵も知られる。四国八十八か所の五十一番札所、真言宗豊山派の石手寺は、国宝の仁王門、重要文化財の本堂、三重塔、護摩堂の広大な境内を持ち、ミッシュラン・グリーンガイドの一つ星も獲得している名刹。

道後温泉(松山市公式観光WEBサイト )
一草庵(山頭火終焉地 松山市公式観光WEBサイト)

葉桜の中の無数の空さわぐ     篠原 梵
石手寺へまはれば春の日暮れたり  正岡子規
道のべに阿波の遍路の墓あはれ   高浜虚子
或る庵は筍藪の中にあり      富安風生
町空のつばくらめのみ新しや    中村草田男
うれしいこともかなしいことも草しげる 種田山頭火
秋遍路と一つ床几やとんぼ来し   細見綾子
お遍路を迎へ黒猫身を延ばす   沢木欣一
遠い日の遠い海鳴り夏みかん   小西昭夫
若鮎の二手になりて上りけり正岡子規(石出川重信川合流地)

〈葉桜〉の句は、第一句集『皿』に収録。梵の代表句として有名で、この一句とすら言われ、石手寺に句碑がある。 

篠原梵句碑(石手寺 松山市公式観光WEBサイト)

「一ひねり捻った思いつきが好きで、「無数の空」等という表現はまさしく梵のもの」(杉森久英・小説家)、「葉桜とその中から見える空の色とが、まるでネガとポジの様に鮮明に分離され、眼前するよう。葉桜の頃のやや強い日射しが、陰影の深いものにものにし、更に「さわぐ」が加わり、「葉桜」を揺さぶる風の存在と、「葉桜」の葉による視覚的な「動き」、それに伴う聴覚への葉の「さざめき」までもが感じられる」(冨田拓也)、「空は一つなのに、葉の隙間の光一つ一つがそれぞれの空という。その空が無数という一言に筆者の心も騒ぐ」(山崎百花)、「葉桜が騒ぐのではなく、空そのものが騒いでいるのだと、動作の主格を捉え直した。空は確かに〈葉桜の中〉にある」(岡田一実)、等の多くの鑑賞がある。

篠原梵は、明治四十三(一九一〇)年、伊予郡伊予村(現伊予市)に生れ、本名は敏之、俳号「梵」は、故郷松山で、男の子を「ボン」と呼んだこと、又インドの婆羅門教の最高原理「唯一我・真我」に拠る。旧制松山高校から、昭和九(一九三四)年、東京帝大文学部国文学科を卒業し、同十三年から中央公論社に入社、。俳句は高校時代に、川本臥風(「いたどり」主宰)の指導を受け、大学入学後、その紹介で臼田亜浪に師事、兄弟子大野林火等からも指導を受け、亜浪主宰の俳誌「石楠」にて「の全盛期の花形として、実作と評論(感覚と情感を知的に分析する)両面で活躍した。

石手寺本堂(松山市公式観光WEBサイト )

同十四年、二十九歳の折、『俳句研究』8月号の座談会「新しい俳句の課題」で、加藤楸邨、中村草田男、石田波郷と共に出席、その後、他の三人共々「人間探求派」と呼ばれ、同十六年、第一句集『皿』を上梓した。戦中の十九年、中央公論社を退職して帰郷、愛媛青年師範学校の教師となった。戦後の同二十三(一九四八)年に復職、「中央公論」編集長、、同社出版部長、事業出版専務を経て同社社長に就任し、出版人として、毎日出版文化賞、広告電通賞を受賞している。

石手寺三重塔(松山市公式観光WEBサイト))

俳句は第二句集『雨』出版後、師亜浪の逝去、自身の俳句の限界感、社業多忙の中、句作をほぼ途絶。晩年には口語自由律俳句も試みたが、同五十(一九七五)年、父母の見舞いで松山帰省中に急逝。享年六十五歳。句集は他に『年々去来の花』(全句集)、別冊自伝『径路』がある。

「同門の遙か後輩の私にも、昭和十年代の篠原梵氏は太陽の様に眩しくいかめしい存在だった」(油布五線)、「青春性の香り高い、初々しい初期の句風は、当時の驚異でその高い資質が注目された」(島崎千秋)、「師亜浪の「破調的傾向」、「韻律」を用いない散文的傾向と誓子の「即物的手法」「連作」の手法を導入し、「人間探求派」とは、やや位相が異なる作家」(冨田拓也)、「俳句という短い形式の中で多くの可能性を探求し、新しい地平を切り開いた稀有の作家だが、作品の多くが埋まれたままである。だが、その作品は今日まで色褪せていない。梵俳句には、書き方の斬新さに加え現代的のテーマも多く含まれる」(岡田一実)、「書籍出版の物々しい職歴に、ささやかな詩は出番を失った感がある。過酷な出版業界を生き抜き、よりよい書籍出版に心血を注ぐのは或る意味、身の内の詩への燃焼と重なるものがあったのではないか」(岩津厚子)等の鑑賞がある。

石手寺本堂(松山市公式観光WEBサイト )

小春日に吾子の睫毛の影頬に 
戻るたびさむく四角きわが部屋なる
利根明り菜の花明り窓を過ぐ
やはらかき紙につつまれ枇杷のあり
たばこの火蚊帳のきり取る闇に染む
椎の木に春日のかけらかぎりなし
扇風機のまはる翳りの部屋ぢゆうに 
葉のみどりかたちうしなひ窓を過ぐ 
頭影テントをなかば占めうごく 
東京灯りぬ金魚のごとき雲を泛べ 
いづくより雪かぶり来し貨車すれちがふ
蟻の列しづかに蝶をうかべたる
空蝉に雨水たまり透きとほる
峰雲の暮れつつくづれ山つつむ 
さきをゆく人との間に蝶絶えず
水筒に清水しづかに入りのぼる
海のはて夕焼けてゐる海がある
星と星のあひだ深しや木犀にほふ 
芽ぶく木を夜空にふかく彫る灯あり
如露の水をはりにちかくもつれ出づ 
花蓮のただなかの舟に酒を酌む 
残雪を蹴りたる跡がほの青く 
閉ぢし翅しづかにひらき蝶死にき
枯山を越え枯山に入りゆく
霧笛にとほく応ふる霧笛あり
影が斜めに横に斜めに独楽とまる
岩清水うける両手の裏に沁む 
春の夜の闇より濃ゆき山に対ふ 

次第に散文的になってゆく後年の梵俳句、岡田氏の論にも一理あり、他の三人の「人間探求派」に比べて、山本健吉の定本『現代俳句』にも入らず、「葉桜」の句のみの俳人としか伝わらないのは極めて残念である。「一物仕立て」で一気呵成に書き上げ、字余りと相俟って散文的として評価が分れ、又岩津氏の考察も説得性はあるものの、屈指の資質を持った俳人である故に惜しまれる。

(書き下ろし)

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【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。新刊に『全国・俳枕の旅62選』(東京四季出版)。


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