目つぶりて春を耳嚙む処女同志
高篤三
(川名大『現代俳句 上』)
初出は「句と評論」昭和9年4月号。同性愛を感じさせる句としてよく引用される島津亮「怒らぬから青野でしめる友の首」が昭和31年の作だから、はるかに先んじており、戦前にこういう句をさらっと詠んでしまえるそのセンスにはちょっと驚いてしまう。引用書中で川名大は解説の冒頭、「高篤三は新興俳句の中で特異な位置を占める俳人である。山口誓子、高屋窓秋、富沢赤黄男のように圧倒的な影響力を持った俳人ではないが、優れた詩人的な資質から生みだされた繊細な珠玉は同時代の俳人たちの胸深く沁み込み、忘れがたい思いを刻みつけた。」と書いている。なぜこのような書き方がなされるのかといえば、東京大空襲で高篤三はその一家で焼かれて亡くなってしまったからであろう。われわれは才能豊かな彼の句のその後を読むことができない。それは実に残酷なことだ。やや気になるのは、「同士」ではなく「同志」であること。字義にこだわれば理屈が立ち上がる。そのあたりの意識が果たして作家にあったかどうかを確かめるすべもないのだけれども。
(橋本直)
【橋本直のバックナンバー】
>>〔77〕名ばかりの垣雲雀野を隔てたり 橋閒石
>>〔76〕春宵や光り輝く菓子の塔 川端茅舎
>>〔75〕特定のできぬ遺体や春の泥 高橋咲
>>〔74〕炎ゆる 琥珀の/神の/掌の 襞/ひらけば/開く/歴史の 喪章 湊喬彦
>>〔73〕杜甫にして余寒の詩句ありなつかしき 森澄雄
>>〔72〕野の落暉八方へ裂け 戰爭か 楠本憲吉
>>〔71〕寒天煮るとろとろ細火鼠の眼 橋本多佳子
>>〔70〕ばばばかと書かれし壁の干菜かな 高濱虚子
>>〔69〕大寒の一戸もかくれなき故郷 飯田龍太
>>〔68〕付喪神いま立ちかへる液雨かな 秦夕美
>>〔67〕澤龜の萬歳見せう御國ぶり 正岡子規
>>〔66〕あたゝかに六日年越よき月夜 大場白水郎
>>〔65〕大年やおのづからなる梁響 芝不器男
>>〔64〕戸隠の山より風邪の神の来る 今井杏太郎
>>〔63〕天籟を猫と聞き居る夜半の冬 佐藤春夫
>>〔62〕暗闇の眼玉濡さず泳ぐなり 鈴木六林男
>>〔61〕ラーメン舌に熱し僕がこんなところに 林田紀音夫
>>〔60〕冬真昼わが影不意に生れたり 桂信子
>>〔59〕雛飾る手の数珠しばしはづしおき 瀬戸内寂聴
>>〔58〕枯芦の沈む沈むと喚びをり 柿本多映
>>〔57〕みかんいろのみかんらしくうずもれている 岡田幸生
>>〔56〕あきかぜの疾渡る空を仰ぎけり 久保田万太郎
>>〔55〕自動車も水のひとつや秋の暮 攝津幸彦
>>〔54〕みちのくに生まれて老いて萩を愛づ 佐藤鬼房
>>〔53〕言葉がわからないので笑うてわかれる露草咲いてゐる 種田山頭火
>>〔52〕南海多感に物象定か獺祭忌 中村草田男
>>〔51〕胡桃割る胡桃の中に使はぬ部屋 鷹羽狩行
>>〔50〕ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ なかはられいこ
>>〔49〕彎曲し火傷し爆心地のマラソン 金子兜太
>>〔48〕蜩やチパナスのあたり雲走る 井岡咀芳
>>〔47〕日まはりは鬼の顔して並びゐる 星野麦人
>>〔46〕わが畑もおそろかならず麦は穂に 篠田悌二郎
>>〔45〕片影にこぼれし塩の点々たり 大野林火
>>〔44〕もろ手入れ西瓜提灯ともしけり 大橋櫻坡子
>>〔43〕美しき緑走れり夏料理 星野立子
>>〔42〕遊女屋のあな高座敷星まつり 中村汀女
>>〔41〕のこるたなごころ白桃一つ置く 小川双々子
>>〔40〕海女ひとり潜づく山浦雲の峰 井本農一
>>〔39〕太宰忌や誰が喀啖の青みどろ 堀井春一郎
>>〔38〕草田男やよもだ志向もところてん 村上護
>>〔37〕水底を涼しき風のわたるなり 会津八一
>>〔36〕棕梠の葉に高き雨垂れ青峰忌 秋元不死男
>>〔35〕谺して山ほととぎすほしいまゝ 杉田久女
>>〔34〕夕立や野に二筋の水柱 広江八重桜
>>〔33〕雲の上に綾蝶舞い雷鳴す 石牟礼道子
>>〔32〕尺蠖の己れの宙を疑はず 飯島晴子
>>〔31〕生前の長湯の母を待つ暮春 三橋敏雄
>>〔30〕産みたての卵や一つ大新緑 橋本夢道
>>〔29〕非常口に緑の男いつも逃げ 田川飛旅子
>>〔28〕おにはにはにはにはとりがゐるはるは 大畑等
>>〔27〕鳥の巣に鳥が入つてゆくところ 波多野爽波
>>〔26〕花の影寝まじ未来が恐しき 小林一茶
>>〔25〕海松かゝるつなみのあとの木立かな 正岡子規
>>〔24〕白梅や天没地没虚空没 永田耕衣
>>〔23〕隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな 加藤楸邨
>>〔22〕幻影の春泥に投げ出されし靴 星野立子
>>〔21〕餅花のさきの折鶴ふと廻る 篠原梵
>>〔20〕ふゆの春卵をのぞくひかりかな 夏目成美
>>〔19〕オリヲンの真下春立つ雪の宿 前田普羅
>>〔18〕同じ事を二本のレール思はざる 阿部青鞋
>>〔17〕死なさじと肩つかまるゝ氷の下 寺田京子
>>〔16〕初場所や昔しこ名に寒玉子 百合山羽公
>>〔15〕土器に浸みゆく神酒や初詣 高浜年尾
>>〔14〕大年の夜に入る多摩の流れかな 飯田龍太
>>〔13〕柊を幸多かれと飾りけり 夏目漱石
>>〔12〕杖上げて枯野の雲を縦に裂く 西東三鬼
>>〔11〕波冴ゆる流木立たん立たんとす 山口草堂
>>〔10〕はやり風邪下着上着と骨で立つ 村井和一
>>〔9〕水鳥の夕日に染まるとき鳴けり 林原耒井
>>〔8〕山茶花の弁流れ来る坂路かな 横光利一
>>〔7〕さて、どちらへ行かう風がふく 山頭火
>>〔6〕紅葉の色きはまりて風を絶つ 中川宋淵
>>〔5〕をぎはらにあした花咲きみな殺し 塚本邦雄
>>〔4〕ひっくゝりつっ立てば早案山子かな 高田蝶衣
>>〔3〕大いなる梵字のもつれ穴まどひ 竹中宏
>>〔2〕秋鰺の青流すほど水をかけ 長谷川秋子
>>〔1〕色里や十歩離れて秋の風 正岡子規
【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。
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