キャベツに刃花嫁衣裳は一度きり
山田径子
(『径』)
小学生の頃、将来の夢を絵に描かせる課題があった。私はバイオリンの先生の絵を描いたが、仲の良い女の子はウエディングドレス姿の絵を描いていた。少々、羨ましかった。昭和生まれの少女の夢は、「お嫁さん」である。堀ちえみ主演の「花嫁衣裳は誰が着る」というドラマも流行っていた。ウエディングドレスのデザイナーを目指す千代が、アイドル歌手の光と恋をしつつ、周囲の妬みや陰謀を乗り越え、夢を叶える話だ。当時の花嫁衣裳は、白無垢であれドレスであれ、オーダーメイドである。女性が生涯で一度だけ着ることの許される高価な衣裳。それを纏う日は最も美しく幸せであらねばならなかった。
白無垢は本来、白を神聖なものとして捉える日本人が祭礼の際に着るものであった。婚礼は勿論のこと出産や葬礼、切腹の時も纏った。明治時代になり、西洋の影響を受け葬礼の服は黒に変わり、白無垢は花嫁衣裳となった。大正時代の東京を舞台とした大和和紀の漫画『はいからさんが通る』では、主人公の紅緒がシベリアで戦死した婚約者、忍の葬儀に白い喪服で現れる場面がある。江戸時代の女性は、婚礼に着た白無垢の袖を詰め、夫が亡くなった際には喪服として着用した。 白い喪服に込められた意味は「二夫にまみえず」。再婚はしないという誓いである。紅緒は旗本の娘であったため、父から母の形見の白い喪服を渡されていたのだ。婚約中の忍の出征、そして戦死の報告。婚礼を挙げてはいない。「これが私の花嫁衣裳。あなたへの生涯かわらぬ愛の誓い」。遺影を見上げる紅緒の心の声に誰もが涙した。
白無垢は、嫁いだ女性の命でもあった。江戸時代の美談で、貧窮の武士が刀を売ろうとしていたのを妻が止めて白無垢を差し出す話がある。「これを売って下さい」と。妻の行為に心を打たれた夫は、意に沿わない仕事も引き受け出世してゆく。花嫁衣裳の白無垢は、武士の命である刀と同等のものであったことが分かる。
昭和のサスペンスドラマでは、会社の秘密を知ってしまった夫が新婚の妻に「俺にもしものことがあった場合、お前の一番大切なものを確認して欲しい」と言う。その後、夫の不慮の死の真相を突き止めるために妻が広げたのはウエディングドレス。ドレスの裾に縫い付けられていた小さなカプセルに気付く。何とも手の込んだメッセージだが、一番大切なものがウエディングドレスであることに時代を感じる。白無垢と違ってドレスは一度しか着ない上に、いざという時、金にもならないのでは。保管をするのも大変だと思ってしまうのは、現代的な感覚なのであろう。
キャベツに刃花嫁衣裳は一度きり 山田径子
最近の花嫁衣裳は、レンタルが多い。一生に一度しか着ないものをわざわざ購入する必要はない。結婚式を挙げないカップルも増えた。それでも花嫁衣裳は着てみたいのが女心。写真だけの結婚式というのもある。私などは、花嫁衣裳に金をかけるぐらいなら、貯金をしたいと思ってしまった現代っ子である。夫に「結婚式しなくていいの?」と聞かれた時「そんなお金と時間があるのなら、句集を出版したい」と言った。夫は、出版社の社長にアポを取り、装丁から校正まで段取りをつけ、句集の出版費用も出してくれた。だから、私の花嫁衣裳は、第一句集である。人生で最も美しい時代の私の言葉が収められている。
私の友人は、就職して2年目に結婚した。新郎とは苦学生の頃に恋仲となり、コツコツ貯めたお金で精一杯の結婚式を挙げた。ウエディングドレスは、会館のレンタルで少し黄ばんでいた。結婚3年目で離婚。入籍後、お互いの我儘が許せなくなってしまい疲れてしまったのだという。30歳を過ぎた頃に、エリート会社員と再婚した。相手は初婚のため、仕事関係者を呼び盛大な結婚式を挙げた。花嫁衣裳はレンタルだが、一流ホテルのドレスは華やかで数回のお召し替えがあった。独身の私は、二度も友人の結婚式に参列し、花嫁衣裳は一度きりではないことを知った。再婚の二次会で友人は、髪型がイマイチだったとか、ケーキが気に入らなかったとかの反省点を述べ、「次は完璧にするね」と笑う始末。さすがに三度目の話は聞いていない。
キャベツは、夏の季語。ひと玉買えば、一週間の食卓を彩ることができる。生でも煮ても炒めても美味しい。栄養価も高く、重宝される野菜である。一人暮らしだと余してしまうので、家庭的なイメージがある。朝食のキャベツを刻んでいると結婚した実感が湧いてくるものだ。
先日、近所の野菜直売所で大きなキャベツを100円で買った。外側の葉は硬く、先端がひらひらしていた。芯に刃を入れる時、鳥の翼を切断するような残酷な気持ちになった。結婚生活とは、残酷なことの繰り返しだ。切断されたキャベツの翼は、ザルの上で重なり、ウエディングドレスの襞のように見えた。花嫁衣裳は、一度きりで良い。この生活を壊したくはない。残酷な我儘を許し合える人を見つけたのだから。
女性が自分のために高価な衣裳を着られる機会は、数回しかない。七五三、卒業式、結婚式。結婚した以上、次に着る衣裳は死装束だ。花嫁衣裳を纏うことは、女性の夢なのだが、夢の先にあるのは、残酷な現実だ。花嫁衣裳という大きな翼を切り捨てながら結婚生活は営まれてゆく。切っても切っても生えてくるような豊かな翼を与えてくれる夫に出逢えたこと。結婚が一度きりだと思えることは、幸せなことだ。
(篠崎央子)
【篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
【篠崎央子のバックナンバー】
>>〔98〕さよならと梅雨の車窓に指で書く 長谷川素逝
>>〔97〕夏帯にほのかな浮気心かな 吉屋信子
>>〔96〕虎の尾を一本持つて恋人来 小林貴子
>>〔95〕マグダラのマリア恋しや芥子の花 有馬朗人
>>〔94〕五十なほ待つ心あり髪洗ふ 大石悦子
>>〔93〕青い薔薇わたくし恋のペシミスト 高澤晶子
>>〔92〕恋終りアスパラガスの青すぎる 神保千恵子
>>〔91〕春の雁うすうす果てし旅の恋 小林康治
>>〔90〕恋の神えやみの神や鎮花祭 松瀬青々
>>〔89〕妻が言へり杏咲き満ち恋したしと 草間時彦
>>〔88〕四月馬鹿ならず子に恋告げらるる 山田弘子
>>〔87〕深追いの恋はすまじき沈丁花 芳村うつぎ
>>〔86〕恋人奪いの旅だ 菜の花 菜の花 海 坪内稔典
>>〔85〕いぬふぐり昔の恋を問はれけり 谷口摩耶
>>〔84〕バレンタインデー心に鍵の穴ひとつ 上田日差子
>>〔83〕逢曳や冬鶯に啼かれもし 安住敦
>>〔82〕かいつぶり離ればなれはいい関係 山﨑十生
>>〔81〕消すまじき育つるまじき火は埋む 京極杞陽
>>〔80〕兎の目よりもムンクの嫉妬の目 森田智子
>>〔79〕馴染むとは好きになること味噌雑煮 西村和子
>>〔78〕息触れて初夢ふたつ響きあふ 正木ゆう子
>>〔77〕寝化粧の鏡にポインセチア燃ゆ 小路智壽子
>>〔76〕服脱ぎてサンタクロースになるところ 堀切克洋
>>〔75〕山茶花のくれなゐひとに訪はれずに 橋本多佳子
>>〔74〕恋の句の一つとてなき葛湯かな 岩田由美
>>〔73〕待ち人の来ず赤い羽根吹かれをり 涼野海音
>>〔72〕男色や鏡の中は鱶の海 男波弘志
>>〔71〕愛かなしつめたき目玉舐めたれば 榮猿丸
>>〔70〕「ぺットでいいの」林檎が好きで泣き虫で 楠本憲吉
>>〔69〕しんじつを籠めてくれなゐ真弓の実 後藤比奈夫
>>〔68〕背のファスナ一気に割るやちちろ鳴く 村山砂田男
>>〔67〕木犀や同棲二年目の畳 髙柳克弘
>>〔66〕手に負へぬ萩の乱れとなりしかな 安住敦
>>〔65〕九十の恋かや白き曼珠沙華 文挾夫佐恵
>>〔64〕もう逢わぬ距りは花野にも似て 澁谷道
>>〔63〕目のなかに芒原あり森賀まり 田中裕明
>>〔62〕葛の花むかしの恋は山河越え 鷹羽狩行
>>〔61〕呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉 長谷川かな女
>>〔60〕あかくあかくカンナが微熱誘ひけり 高柳重信
>>〔59〕滴りてふたりとは始まりの数 辻美奈子
>>〔58〕みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな 筑紫磐井
>>〔57〕告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む 恩田侑布子
>>〔56〕愛されずして沖遠く泳ぐなり 藤田湘子
>>〔55〕青大将この日男と女かな 鳴戸奈菜
>>〔54〕むかし吾を縛りし男の子凌霄花 中村苑子
>>〔53〕羅や人悲します恋をして 鈴木真砂女
>>〔52〕ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 桂信子
>>〔51〕夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子
>>〔50〕跳ぶ時の内股しろき蟇 能村登四郎
>>〔49〕天使魚の愛うらおもてそして裏 中原道夫
>>〔48〕Tシャツの干し方愛の終わらせ方 神野紗希
>>〔47〕扇子低く使ひぬ夫に女秘書 藤田直子
>>〔46〕中年の恋のだんだら日覆かな 星野石雀
>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと 長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて 小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち 檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓
>>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ 仙田洋子
>>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと 五所平之助
>>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな 大木孝子
>>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま 日野草城
>>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女
>>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー 古賀まり子
>>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ 河野多希女
>>〔31〕あひみての後を逆さのかいつぶり 柿本多映
>>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
>>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空 黛まどか
>>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋 西東三鬼
>>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物 加藤郁乎
>>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈 尾崎放哉
>>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人 なつはづき
>>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇 新海あぐり
>>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な 遠山陽子
>>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰 文挾夫佐恵
>>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市 久保田万太郎
>>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか 竹岡一郎
>>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実 保坂敏子
>>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中 鷲谷七菜子
>>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの 岩永佐保
>>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑 大橋敦子
>>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女 八木三日女
>>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草 深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅 森澄雄
>>〔9〕誰かまた銀河に溺るる一悲鳴 河原枇杷男
>>〔8〕杜鵑草遠流は恋の咎として 谷中隆子
>>〔7〕求婚の返事来る日をヨット馳す 池田幸利
>>〔6〕愛情のレモンをしぼる砂糖水 瀧春一
>>〔5〕新婚のすべて未知数メロン切る 品川鈴子
>>〔4〕男欲し昼の蛍の掌に匂ふ 小坂順子
>>〔3〕梅漬けてあかき妻の手夜は愛す 能村登四郎
>>〔2〕凌霄は妻恋ふ真昼のシャンデリヤ 中村草田男
>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく 鍵和田秞子
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】