老僧の忘れかけたる茸の城
小林衹郊
今朝の信濃毎日新聞読者投稿欄に茸採りの思い出が載っていた。名人を自称する母親に初めて同行したときの逸話だ。その道のベテランである母親は息子のために、歩き易く収穫量も高い秘密の場所へ案内してくれた。幾種類もの茸を籠いっぱいに持ち帰り、実家で母の料理した鍋やおろし和えに舌鼓を打ったという。ところが、別けても美味しかったチョコタケという茸を土産に貰い、自宅でこれを肴に酒を飲み始めた途端、七転八倒の苦しみに襲われた。何と、チョコタケと酒は中毒を引き起こすほど相性が悪かったのである。今でも茸採りを続けている投稿者の昔日の失敗談をユーモラスに紹介しつつ、母親を懐かしむ好エッセイだった。
老僧の忘れかけたる茸の城 小林衹郊
「茸の城」とは投稿者の母親が案内した場所のように茸がぶわっと群生している様の見立と思ったが、検索してみるとどうやら違うらしい。茸とは松茸のこと。アカマツの根と松茸の菌糸が土の中で絡み合い、環状の塊を作る。これを「シロ」と呼ぶのだそうだ。語源は「白」、「城」、「代」と定まらない。松茸採りの名人はシロの在り処をたとえ家族でも教えないという。「松茸のシロは墓場まで持って行け」なる格言(?)もあるのだとか。松茸ハンターの生き方は厳しいのだ。さてさて、この句の老僧もいいシロを知っている。が、寄る年波でもはや自分で採りに行くことは叶わない。周りが場所を聞き出そうとしても、その時その時で言うことが違ったり、自分でも記憶があやふやだったり、と一向に埒が明かない。とは言うものの、「忘れかけたる」であり、決して忘れ去った訳ではない。老いた僧侶の記憶のなかにその場所は半分現実半分幻のように存在する。玉手箱を開けて以後の浦島太郎の脳裏に竜宮城の面影が時々過ったであろうように。
いや、実は案外食えない坊さんで、忘れかけているのは単なる芝居だろうか。どうにかしてシロの場所を探ろうとする輩を忍法まだらボケの術で煙に巻いては、翻弄される相手の様子を愉しんでいるのかもしれない。そう考えると、この茸の城は老僧にとってとんでもない秘密の花園ではある。
掲句は1977年刊行長野県俳人協会編の『信濃句集』から引いた。復刊第4号とある。協会員の各15句が掲載され、巻末に北信、東信、中信、南信地区俳壇状況報告を付している。また、会員名簿の役割も果たしており、会員の住所と所属結社が出ている。掲句の作者小林衹郊は「鷹」所属。
訳あって三ヶ月ほど前から、家人の松本の実家-ここ数年空家になっていた―に仮寓している。この句集は家人の本棚から見つけた。この号が出た年には彼は既に上京していたが、帰省した折に当地の句会にも顔を出すなど付き合いがあり、その流れで入手したらしい(本人うろ覚え)。長野で詠まれた句を同じ土地で読む。それぞれの句にしっくりした感じを覚えるのは、私もそろそろこちらの暮しに馴染んで来た所為かもしれない。『信濃句集』はあと2冊、第5号、第6号と揃っているので順番に読んでいこうと思う。お付き合いどうぞよろしくお願いいたします。
(太田うさぎ)
【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
【2022年9月の火曜日☆岡野泰輔のバックナンバー】
>>〔1〕帰るかな現金を白桃にして 原ゆき
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【2022年9月の水曜日☆田口茉於のバックナンバー】
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【2022年6月の水曜日☆松野苑子のバックナンバー】
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【2022年5月の火曜日☆沼尾將之のバックナンバー】
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【2022年5月の水曜日☆木田智美のバックナンバー】
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【2022年4月の火曜日☆九堂夜想のバックナンバー】
>>〔1〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア 豊口陽子
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>>〔3〕水鳥の和音に還る手毬唄 吉村毬子
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【2022年4月の水曜日☆大西朋のバックナンバー】
>>〔1〕大利根にほどけそめたる春の雲 安東次男
>>〔2〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア 豊口陽子
>>〔3〕田に人のゐるやすらぎに春の雲 宇佐美魚目
>>〔4〕鶯や米原の町濡れやすく 加藤喜代子
【2022年3月の火曜日☆松尾清隆のバックナンバー】
>>〔1〕死はいやぞ其きさらぎの二日灸 正岡子規
>>〔2〕菜の花やはつとあかるき町はつれ 正岡子規
>>〔3〕春や昔十五万石の城下哉 正岡子規
>>〔4〕蛤の吐いたやうなる港かな 正岡子規
>>〔5〕おとつさんこんなに花がちつてるよ 正岡子規
【2022年3月の水曜日☆藤本智子のバックナンバー】
>>〔1〕蝌蚪乱れ一大交響楽おこる 野見山朱鳥
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>>〔3〕春天の塔上翼なき人等 野見山朱鳥
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【2022年2月の火曜日☆永山智郎のバックナンバー】
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【2022年2月の水曜日☆内村恭子のバックナンバー】
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【2022年1月の火曜日☆菅敦のバックナンバー】
>>〔1〕賀の客の若きあぐらはよかりけり 能村登四郎
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【2022年1月の水曜日☆吉田林檎のバックナンバー】
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【2021年12月の火曜日☆小滝肇のバックナンバー】
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>>〔2〕内装がしばらく見えて昼の火事 岡野泰輔
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>>〔1〕綿入が似合う淋しいけど似合う 大庭紫逢
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【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】