蜷のみち淡くなりてより来し我ぞ
飯島晴子
晴子の第三句集『春の蔵』は、例えば〈春の蔵でからすのはんこ押してゐる〉〈鶯に蔵をつめたくしておかむ〉〈蔵をまはつて舌熱くなる春やすみ〉など蔵を中心とした定住の場面と、〈秋山に箸光らして人を追ふ〉〈家毀し瀧曼荼羅を下げておく〉など、峠を越えるような移動の場面とがある。あるコミュニティーの中にいながら、完全にはそこに馴染みきっていない視点から、一句一句が描かれているような感がある。それは、幼少時から様々な文化圏の影響を受け、よく歩く俳人であった晴子の、「定住」「一定」というものへの一種の憧れからくるものかもしれない。
掲句では、そこに来たときにすでに消えかかっている蜷の道ではなく、蜷の道が淡くなってから到着してしまった我に重心を置くという書き方が、我の愚かさ、外様の感じを際立たせているように思われる。
(小山玄紀)
【執筆者プロフィール】
小山玄紀(こやま・げんき)
平成九年大阪生。櫂未知子・佐藤郁良に師事、「群青」同人。第六回星野立子新人賞、第六回俳句四季新人賞。句集に『ぼうぶら』。俳人協会会員
【小山玄紀さんの句集『ぼうぶら』(2022年)はこちら↓】
【小山玄紀のバックナンバー】
>>〔49〕雛まつり杉の迅さのくらやみ川 飯島晴子
>>〔48〕鶯に蔵をつめたくしておかむ 飯島晴子
>>〔47〕紅梅の気色たゞよふ石の中 飯島晴子
>>〔46〕辛酸のほどは椿の絵をかけて 飯島晴子
>>〔45〕白梅や粥の面てを裏切らむ 飯島晴子
>>〔44〕雪兎なんぼつくれば声通る 飯島晴子
>>〔43〕髪で捲く鏡や冬の谷底に 飯島晴子
>>〔42〕ひきつゞき身のそばにおく雪兎 飯島晴子
>>〔41〕人の日の枯枝にのるひかりかな 飯島晴子
>>〔40〕年逝くや兎は頰を震はせて 飯島晴子
>>〔39〕白菜かかへみやこのなかは曇なり 飯島晴子
>>〔38〕新道をきつねの風がすすんでゐる 飯島晴子
>>〔37〕狐火にせめてををしき文字書かん 飯島晴子
>>〔36〕気が変りやすくて蕪畠にゐる 飯島晴子
>>〔35〕蓮根や泪を横にこぼしあひ 飯島晴子
>>〔34〕みどり児のゐて冬瀧の見える家 飯島晴子
>>〔33〕冬麗の谷人形を打ち合はせ 飯島晴子
>>〔32〕小鳥来る薄き机をひからせて 飯島晴子
>>〔31〕鹿の映れるまひるまのわが自転車旅行 飯島晴子
>>〔30〕鹿や鶏の切紙下げる思案かな 飯島晴子
>>〔29〕秋山に箸光らして人を追ふ 飯島晴子
>>〔28〕ここは敢て追はざる野菊皓かりき 飯島晴子
>>〔27〕なにはともあれの末枯眺めをり 飯島晴子
>>〔26〕肉声をこしらへてゐる秋の隕石 飯島晴子
>>〔25〕けふあすは誰も死なない真葛原 飯島晴子
>>〔24〕婿は見えたり見えなかつたり桔梗畑 飯島晴子
>>〔23〕白萩を押してゆく身のぬくさかな 飯島晴子
>>〔22〕露草を持つて銀行に入つてゆく 飯島晴子
>>〔21〕怒濤聞くかたはら秋の蠅叩 飯島晴子
>>〔20〕葛の花こぼれやすくて親匿され 飯島晴子
>>〔19〕瀧見人子を先だてて来りけり 飯島晴子
>>〔18〕未草ひらく跫音淡々と 飯島晴子
>>〔17〕本州の最北端の氷旗 飯島晴子
>>〔16〕細長き泉に着きぬ父と子と 飯島晴子
>>〔15〕この人のうしろおびただしき螢 飯島晴子
>>〔14〕軽き咳して夏葱の刻を過ぐ 飯島晴子
>>〔13〕螢とび疑ひぶかき親の箸 飯島晴子
>>〔12〕黒揚羽に当てられてゐる軀かな 飯島晴子
>>〔11〕叩頭すあやめあざやかなる方へ 飯島晴子
>>〔10〕家毀し瀧曼荼羅を下げておく 飯島晴子
>>〔9〕卯月野にうすき枕を並べけり 飯島晴子
>>〔8〕筍にくらき畳の敷かれあり 飯島晴子
>>〔7〕口中のくらきおもひの更衣 飯島晴子
>>〔6〕日光に底力つく桐の花 飯島晴子
>>〔5〕気を強く春の円座に坐つてゐる 飯島晴子
>>〔4〕遅れて着く花粉まみれの人喰沼 飯島晴子
>>〔3〕人とゆく野にうぐひすの貌強き 飯島晴子
>>〔2〕やつと大きい茶籠といつしよに眠らされ 飯島晴子
>>〔1〕幼子の手の腥き春の空 飯島晴子
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