観音か聖母か岬の南風に立ち 橋本榮治【季語=南風(夏)】


観音か聖母か岬の南風に立ち

橋本榮治

 映画『怪物』を鑑賞。好きな描き方だった。周囲の評価は好意的だが、理由は様々。カメラワーク、監督と脚本の相性、俳優の技量など。それらにも賛成しつつ筆者にとって一番大きかったのはやはり俳句的な良さがあるから。丹念な描写に徹して説明しすぎない。登場人物たちの言動が明らかにある方向を示しているのだが、説明はない。その答え合わせは明らかにされたものもあったが見る側に託されている箇所もあった。

 構成は複数の登場人物たちの視点から同じ時間を描く『羅生門』方式。人物たちの思いの行き違いを誤解ととらえる評価が散見されたが個人的には誤解というよりは人間はこういうものであるという証明に見えた。

  観音か聖母か岬の南風に立ち

 岬の南風に立つのは観音か聖母に匹敵する存在。その女性が立っている姿を作者は少し遠くから見ている。あるいは作者がそこに立っていたら幻のように観音とも聖母ともつかない存在のものが幻想として見えたととることもできるが、シンプルに前者のような情景との出会いをもとにした句であると考えたい。

 風に立つ姿はその人物が持つ意思の強さを思わせる。季語の南風はその意思がいかに真っ直ぐで強いものであるかを語っており、「観音」「聖母」の強さに負けていない。

「観音か聖母か」からは〈騎龍観音〉(原田直次郎)を思った。龍にのる観音像を描いた油絵だ。西洋画の中に紛れ込んでしまったような観音は見慣れた仏画とは一線を画す存在感である。岬に立っているとはいえないが、背景に岸壁らしきものがあり岬の存在は感じとれる。そもそも岬に立っているのではなく岬の南風に立っているのだ。龍に乗って前に進む姿は「南風に立ち」を具現化している。

 筆者にとってはこの句を構成する要素は全て〈騎龍観音〉を指し示しているのだが、それは特殊な読みなのかもしれない。作者にもそんな意図はなく、前述のような情景との出会いがあったと考えるのが当然だ。

 同じパズルのピースでもある人から見れば一つの方向を示しているようにしか見えないものが、他の人から見れば別の方向を示しているように見えるのは不思議なことではない。180度異なることもある。それは受け取る側がどういうものさしで見るかによって異なる。美しさをものさしにしている人にはその人にしか測れない美しさの感じ方があるはずだ。それが筆者の場合は俳句らしさ。自分だけのものさしを磨き続ければきっとその人だけの楽しみ方が見つかるはずだ。

騎龍観音〉は東京国立近代美術館所蔵の重要文化財です。

 『瑜伽(ゆうが)』(2023年刊)所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


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