深追いの恋はすまじき沈丁花
芳村うつぎ
人は追いかけられると逃げる本能があるらしい。でも逃げられると追いかけてしまう。「蛙化現象」という言葉がある。好意を抱いている相手が自分に好意を持っていることが分かると、嫌悪感を持つようになる現象とのこと。言葉の由来は大好きな童話『かえるの王さま』だ。
王女が泉に落とした金の鞠を拾う条件としてカエルは、友達になることを申し出る。仕方なく条件を受け入れた王女だが、嫌でたまらない。城を訪れたカエルは、一緒に食事をした後、王女のベッドで寝かせて欲しいと要求する。王様の命令もあり渋々と部屋に入れた王女は、ベッドに潜り込もうとするカエルを壁に叩きつけた。するとカエルは魔女の魔法が解けて美しい王子の姿に戻る。王子は自分の美しさに慢心し魔女から醜いカエルの姿にされていたのだ。醜い姿でも愛してくれる人が現れたなら解けるはずだった魔法。なぜ解けたのかいまだに理解できないが、嫌われたことにより愛を知ったのだと思っている。
恋の情熱の行き違いは誰しも体験したことがあると思う。大学時代、ショットバーでアルバイトをしていた。同時期に入店した同僚は、不器用な美男子。当時、女性従業員はシェイカーを持たせて貰うまで1年の時間を要した。ところが美男子は3か月でシェイカーを振っていた。カクテルを勉強し開店前も閉店後もシェイカーを振る練習をしていた私には、許せない存在であった。そんなある日、絶世の美女が独りでやってきて、会話の下手な美男子を口説き始める。その日まで、同時期入店の男の子が美形であることに気付かなかった。気の利かない男の子としか思っていなかったからである。美男子もまた、私のことを嫌っていた。私の居ないところで私の悪口を言っているとお客さんから聞いていた。
数か月後、休憩時間が一緒になった時に「例の美女とは、その後どうなったの」と聞くと「内緒だけど、交際することになった」と答えた。さらには「君に相談するのも変だけど、女性の意見を聞きたいんだ。実は、1日に何回も電話が来て困っている」と言う。「愛されているのね」と冷やかしたが、不器用な美男子は私以上にカクテル愛が強かったのだろう。「彼女と交際するようになってからは、家でシェイカーを振る練習もできなくなってしまった」と。彼は彼なりに努力していたことを知り共感を持った。「トイレに籠っていて電話に出られなかったことも責められる。もうどうしたら良いのか分からない」。かなり深刻な状況であった。美男子が美女を避け始めた頃、美女は、別の男性と恋をし始めた。面倒な女性でも失うと惜しくなったのだろうか。美男子は、美女に毎晩のように電話をかけて嫌われてしまった。
深追いの恋はすまじき沈丁花 芳村うつぎ
沈丁花は春先に咲く花だが、鬱鬱とした匂いが嫌いな人もいる。4月頃に挿し木をすると、翌年には蕾を持つ希望の花でもある。花言葉は、常緑であることから「永遠」「不死」「不滅」「栄光」である。一方で「実らぬ恋」という花言葉もある。由来はギリシャ神話。
太陽神のアポロンは、恋愛の神であるキューピッドに「子供が矢で遊んではいけない」と注意した。怒ったキューピッドは、アポロンには恋の矢を、近くにいた森の妖精ダフネには恋の拒絶の矢を放った。恋の矢に打たれたアポロンは、ダフネに恋をしてしまう。だが拒絶の矢を射られたダフネは逃げ回ることになる。アポロンの恋から逃れたいダフネは、河の神である父に姿を変えてもらうよう願う。そして沈丁花になった。アポロンが月桂樹の冠を被っているのは、月桂樹の葉が沈丁花に似ているからだ。姿を変えてまでアポロンを避けたダフネを今も想い続けている。
どんなに嫌われても追いかけてしまう激しい恋情は羨ましいのだが、相手からしたら迷惑千万である。逆にダフネがアポロンを追いかけたら、アポロンの恋も冷めたのかもしれない。恋愛のアドバイスとして必ず言っている言葉がある。「人を好きになるのは素敵なことだが、絶対に惚れてはいけない。本気になったら相手は逃げるから」。ほどほどの距離感を持てということである。深追いはしてはいけない。
自分を避け始めた異性を追いかけることは苦しい。思い切って連絡を絶ち、新しい恋を探してはどうだろうか。人は自分の崇拝者を失うと惜しくなるもの。追いかけてきてくれるかもしれない。新しい恋に夢中になっている時に追いかけてこられても迷惑なのだが、追いかけられてこそ終止符を打てる恋もあるのだ。
(篠崎央子)
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【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
【篠崎央子のバックナンバー】
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>>〔85〕いぬふぐり昔の恋を問はれけり 谷口摩耶
>>〔84〕バレンタインデー心に鍵の穴ひとつ 上田日差子
>>〔83〕逢曳や冬鶯に啼かれもし 安住敦
>>〔82〕かいつぶり離ればなれはいい関係 山﨑十生
>>〔81〕消すまじき育つるまじき火は埋む 京極杞陽
>>〔80〕兎の目よりもムンクの嫉妬の目 森田智子
>>〔79〕馴染むとは好きになること味噌雑煮 西村和子
>>〔78〕息触れて初夢ふたつ響きあふ 正木ゆう子
>>〔77〕寝化粧の鏡にポインセチア燃ゆ 小路智壽子
>>〔76〕服脱ぎてサンタクロースになるところ 堀切克洋
>>〔75〕山茶花のくれなゐひとに訪はれずに 橋本多佳子
>>〔74〕恋の句の一つとてなき葛湯かな 岩田由美
>>〔73〕待ち人の来ず赤い羽根吹かれをり 涼野海音
>>〔72〕男色や鏡の中は鱶の海 男波弘志
>>〔71〕愛かなしつめたき目玉舐めたれば 榮猿丸
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>>〔69〕しんじつを籠めてくれなゐ真弓の実 後藤比奈夫
>>〔68〕背のファスナ一気に割るやちちろ鳴く 村山砂田男
>>〔67〕木犀や同棲二年目の畳 髙柳克弘
>>〔66〕手に負へぬ萩の乱れとなりしかな 安住敦
>>〔65〕九十の恋かや白き曼珠沙華 文挾夫佐恵
>>〔64〕もう逢わぬ距りは花野にも似て 澁谷道
>>〔63〕目のなかに芒原あり森賀まり 田中裕明
>>〔62〕葛の花むかしの恋は山河越え 鷹羽狩行
>>〔61〕呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉 長谷川かな女
>>〔60〕あかくあかくカンナが微熱誘ひけり 高柳重信
>>〔59〕滴りてふたりとは始まりの数 辻美奈子
>>〔58〕みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな 筑紫磐井
>>〔57〕告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む 恩田侑布子
>>〔56〕愛されずして沖遠く泳ぐなり 藤田湘子
>>〔55〕青大将この日男と女かな 鳴戸奈菜
>>〔54〕むかし吾を縛りし男の子凌霄花 中村苑子
>>〔53〕羅や人悲します恋をして 鈴木真砂女
>>〔52〕ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 桂信子
>>〔51〕夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子
>>〔50〕跳ぶ時の内股しろき蟇 能村登四郎
>>〔49〕天使魚の愛うらおもてそして裏 中原道夫
>>〔48〕Tシャツの干し方愛の終わらせ方 神野紗希
>>〔47〕扇子低く使ひぬ夫に女秘書 藤田直子
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>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと 長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて 小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち 檜紀代
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>>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと 五所平之助
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>>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中 鷲谷七菜子
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【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】