虎の尾を一本持つて恋人来
小林貴子
(『北斗七星』)
デートの時に男性が持参するプレゼントで一番嬉しいのは何であろうか。ちなみに私は、花束が嬉しかった。アクセサリーや鞄などは、親密になってから貰えば良い。服とかは、さらに親しくならないと買って貰えない。男性は、女性を口説くために様々な贈り物を用意するものである。
ショットバーでアルバイトをしていた頃は、誕生日も客寄せの企画があり休めなかった。カウンターからこぼれ落ちるほどの花束が二十歳の私を祝福してくれた。人生で最も多くの花束を貰った日である。大寒にも関わらず、薔薇やカーネーション、チューリップなどもあった。季節外れの花を持ってきてくれた男性の気持ちが今も愛おしい。
ところが本命の恋人がくれたのは、UFOキャッチャーでゲットした変な兎の縫いぐるみ。卯年生まれの私のために何回も挑戦して獲たプレゼントだったらしいが全く嬉しくなかった。私が本当に欲しかったのはステディリングであったから。未婚でも恋人であることを確約する指輪は、右手の薬指に嵌める。男性にとっては、所有欲を満たすものであり、女性にとっては、オンリーワンの証である。私に指輪を買ってくれた男性は何人かいたのだが、本当に欲しい人から貰ったことがない。本命からの贈り物はいつも縫いぐるみや野の花であった。相手は相手なりに私を笑わせようとして与えてくれたのだろう。その当時はつまらない恋人だと思った。お互い若かったのだ。素朴な優しさを持った恋人を掴まえておけば良かったと後悔したのは30歳を過ぎてからのことである。
男性から「何が欲しい?」と聞かれれば、欲しい物は沢山ある。高価な物だけでなく地位や名誉も欲しい。「あなたが一番欲しい」と言えるほどの純粋な心は、いつしか消えてしまった。
虎の尾を一本持つて恋人来(く) 小林貴子
虎の尾という花は、梅雨の時期になると故郷の丘に群生していた。形状の美しさから摘み取って花瓶に生けたこともある。その丘も電車を走らせるために売り、幼い頃に遊んだ河原も野山も今はコンクリートで覆われている。最近虎の尾を見かけたのは、都内の庭園である。どこにでも咲いていた野の花が人工的に作られた庭園でしか見られないことを淋しく思った。
数年前の同窓会に初恋の男性は来なかった。だが、その親友が村の名残とも言うべき虎の尾を胸に挿してやってきた。「虎の尾を見るといつも君のはねた癖毛を思い出すんだ。アイツは虎の尾を摘んでは君の毛のようだとからかっていたっけ。東京に出て見栄はってストレートにしやがって。残念だ」と言った。初恋の彼とその親友と雨の中、虎の尾を摘んだ日のことを思い出した。からかわれては追いかけてじゃれ合う姿は雨を弾く虎の尾の花穂のようだったのだろう。私のはねる癖毛を愛してくれた人がいたことが嬉しかった。
デートの時の花束は薔薇が良い。野の花で口説かれるような安っぽい女ではありたくない。でも何の映画であったか、有名女優を口説くために贈った高価なプレゼントを突き返される富豪がいた。最終的には野の花を渡し打ち解けてゆく。お互い着飾った者同士の恋。野の花は、素顔のままで愛し合おうという意味があったのだ。そう考えると虎の尾も悪くない。
子供の頃一緒に遊んだ初恋の男性の親友は、同窓会にブランドのスーツを着てきた。なのに胸に挿した花は道端で摘んだ虎の尾である。素直に笑ってしまった。女性の関心を引くものは高価でなくて良いのだ。
(篠崎央子)
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【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
【篠崎央子のバックナンバー】
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>>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
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>>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物 加藤郁乎
>>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈 尾崎放哉
>>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人 なつはづき
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>>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇 新海あぐり
>>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な 遠山陽子
>>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰 文挾夫佐恵
>>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市 久保田万太郎
>>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか 竹岡一郎
>>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実 保坂敏子
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>>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草 深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅 森澄雄
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>>〔6〕愛情のレモンをしぼる砂糖水 瀧春一
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【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】